日本的経営が輝きを失って以降、欧米から持ち込んだ経営概念を十分理解し消化しないまま、安易な常套句にしてしまったせいもあり、どれもそれほど経営の革新に役に立っていない。その上、常套句は思考停止になりやすいため、現象を語ることを超えて課題設定をする意思を失い、そのための方法論を追求しなくなっている。日本の未来のために、私たちが今すべきことは何なのだろう。
江戸時代の日本は、
都市づくりではヨーロッパより進んでいた
――日本人は、戦後ずっと、米国が設定してくれる課題に対応するだけで、しだいに課題設定能力を失っていったということはわかりました。それ以前の時代はどうだったのでしょうか。
都市設計についていえば、江戸の町は甍の町並みの、美しく先進的な都市でした。同時代のヨーロッパの都市に比べて、いろいろな意味で先進的だったといっていいと思います。百万都市である江戸を支えるだけの上下水道があったわけですから。ヨーロッパの都市は、それこそ不衛生な状況でした。疫病が大量発生し、何とかしなければと、そこから公衆衛生というテーマが生まれたわけです。

東京大学EMP 特任教授
それに比べて江戸の町は開渠による下水システムが完備していて、よほど衛生的でした。都市において最大の汚物は人の糞尿です。それを下肥として活用するために、下水とは別系統で農村まで運び出すシステムが、江戸では整備されていました。汲み取り式便所は、そのリサイクルのために作られた「装置」でした。ヨーロッパの都市では、室内の便器に溜まった汚物を、朝道路に投げ捨てていた。外を歩く人はそれをよけなければならなかったことはよく知られています。
――今は輝かしいヨーロッパの都市がそんなに不衛生だったとは信じられません。
ちょっと余談になりますが、ヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』を読むと、19世紀のフランスの都市の状況や暮らしぶりがよくわかります。
ジャン・バルジャンがマリユス青年を背負って下水道に入り逃避行する場面がありますが、そこにユゴーはパリの下水道の歴史を挿入しています。第5部第2編は「怪物の腸」というタイトルで、まるごと彼の「下水道論」にあてられているのです。
ユゴーによれば、下水道が整い過ぎて糞尿が田畑で利用されず、農業が生産性を落としたからローマ帝国はほろんだのであり、パリは「黄金を無駄に川に捨てている」とまで言っています。ナポレオン三世が推進した下水道政策に対する批判です。いまは「光の都・パリ」と言われるパリも、かつては今の我々には考えられないくらい不衛生だったのです。ユゴーの時代はちょうど下水道改革の時期だったのですね。それで関心を寄せて、下水道を小説の舞台に使ったのかもしれません。
――すると江戸時代の日本はけっこう進んだ国だったのですね。
そうです。ヨーロッパ人が当時の日本にきて一番驚いたのは、ちり紙だったといわれます。ちり紙で鼻をかんだり、お尻をふいたりすることは、実は非常に文明的なことで、当時のヨーロッパでは考えられないことでした。
しかも、当時日本はGDPも高かったのです。産業革命以前は、どの国においても農業が産業の中心であり、生産性といえば農業の生産性であったわけです。農業技術は速やかに伝搬するので各国の農業生産性にそれほどの差はなかったはずです。GDPとは産業の生産性と就業人口の掛け算に依存すると考えていいわけですから、人口も多くて農業国であった日本のGDPは低くはありませんでした。17世紀から18世紀にかけて、日本は人口もGDPも、増加率が世界平均より高く、世界シェアも拡大し始めていました。
――日本はそのころも大国だったのですね。
そうです。気付いたら後れをとっていた、となるのは、イギリスの産業革命以降、農業ではなく製造業の生産性が重要になってきた18世紀末から19世紀初頭のことです。従って、19世紀半ばの開国は遅れを取り戻すために必要だったのです。
第2次大戦後、今考えても呆れるくらいのスピードで経済成長をし、1967年に日本は世界2位の経済大国になったと喜んだのですが、実は、みんなが思っているように、小国が大国になったわけではありません。もともと日本は大国であったわけです。世界で第5位くらいの規模から第2位になったというだけです。