2つの世界的な経済社会の地殻変動

■ポピュリズム旋風:
 米国の2016年の大統領選や英国のEU離脱(Brexit)といったサプライズ的な民意表出の震源地の一つが旧炭鉱コミュニティであった。これら多数派労働者層に対し、二大政党制下で政治的な処遇が軽視されたことが、ジェンダーや人種間の平等といった社会的アジェンダに対する拒絶反応を生んできたといえる。こうした点を踏まえると、脱炭素移行を円滑に進める上においても「雇用」や「労働の尊厳」の問題を避けることはできない。

■コロナ禍で必要となった脱炭素化の加速とステークホルダー資本主義の連立方程式:
 新型コロナウイルスによるパンデミックは、米ビジネスラウンドテーブルや世界経済フォーラムが「ステークホルダー資本主義」を提唱し、その実践の在り方が問われ始めたタイミングで発生した。提唱当時想定されていた、顧客・従業員・サプライチェーン労働者や操業地の地域コミュニティはそれぞれ、コロナ禍によってはるかに厳しい局面に晒されている。一方でESG投資家連合が企業経営者に対し、「株主配当を犠牲にしてでも雇用を」と要請するなど、「S」領域への配慮を求める声が従来に増して高まっている。他方、コロナ後の復興に向けては環境分野への投資を重視する「グリーンリカバリー」が命題となりつつあることを考えると、ここにおいてもJTの視点が重要となってくる。

 そして、社会的公正の観点を欠いた脱炭素移行が、現実に政治的な軋みを生じさせ、脱炭素化の障壁となりかねない事態が実際に起こり始めている。

 2018年にフランス全土を揺るがせた『黄色いベスト運動』は、直接的には燃料税率引き上げへの抗議に端を発したものだった。その結果、広範な賃金や税の公正などのテーマを包含した大規模な反格差運動に発展した。

 翌年チリで発生した暴動も、再エネと炭素税の導入を背景とした地下鉄運賃の値上げが発端で反格差・反緊縮運動に発展したものだ。結果として、サンチアゴで予定されていた気候変動COP25の開催断念に追い込まれ、スペインのマドリードで実施された。

グローバルで進む
Just Transitionの政策化・制度化

 以上のような経緯を踏まえると、JTは現在、様々な政策や金融原則に織り込まれ始めており、今後企業経営に影響を及ぼすことが予想される。

 政策面から見てみよう。例えばパリ協定はその前文で、「この協定の締約国は、自国が定める開発の優先順位に基づく労働力の公正な移行並びに適切な仕事及び質の高い雇用の創出が必要不可欠であることを考慮する」ことを謳っている。また、欧州連合(EU)の成長戦略Green Deal内に、旧東欧諸国など石炭産業/地域の、移行の影響を最も受ける業界、地域の住民や労働者の支援に的を絞った資金メカニズム“Just Transition Mechanism”を設置している。スペインでは2018年に政労使が協議をし、石炭火力発電所の閉鎖を急ぐ際に、その場所に再エネ関連の施設を建設し、雇用のスムーズな移転に向けて政府が予算を投じることの合意がされている。

 資本市場ではどうか。国連 Principles for Responsible Investment (PRI)がESG投資家向けガイドライン“Climate change and the just transition”を発行し、JTとSDG各目標の関連性に関する分析に基づいて5つのアクションを提起しているほか、BNPパリバはその“Global Sustainability Strategy”において、サステナブル投資の道筋の一つとしてJTを位置付けている。

山田 太雲/Takumo Yamada
モニター デロイト スペシャリストリード(サステナビリティ)
モニター デロイト スペシャリストリード(サステナビリティ)。大手国際NGOで12年間「持続可能な開発」の諸課題に関する政策アドボカシーに従事したのち、2015年の国連SDGs交渉に関与し、成果文書案の一部修正を勝ち取る。モニター デロイトではサステナビリティ潮流やステークホルダーの動向等についてインサイトを提供している。

グローバルでもビジネスへの実装はこれから:
日本は勝機にできるか

 ただし、JTのビジネスへの実装はまだこれからだ。各国政府やIKEA財団などの出資により、企業のSDGsインパクトの横比較測定を開発している「World Benchmarking Alliance」は、世界で特にGHG排出量の多い450社の取組みを評価するツール“Just Transition Assessments”を開発中である。そこでパイロット的に行われた自動車産業の分析によると、自動車電動化を主導するような企業も含め、JTへの配慮が軒並み著しく低いとの結果が示されている。

 また、「ビジネスと人権」に関するグローバルな情報ハブ機能を担うNGO「Business & Human Rights Resource Centre」による風力及び太陽光のグローバル大手16社の人権対応調査によると、この産業の人権対応の実態は、特に人権侵害との関連が多く指摘されているアパレル、農業、採掘、ICT製造業とほぼ変わらないとの結果が出た。BHRRCによると、同産業に対する人権侵害批判の件数が、2010年から18年の間に10倍に増えている。

 カーボンニュートラルに向けた競争に大きく出遅れた日本企業。しかし、先を行く先進企業は今後、高まるJT圧力にオペレーション、場合によってはビジネスモデルそのものの見直しを迫られる可能性もある。

 この機に、あらかじめ各ステークホルダーの利害を丁寧に織り込んだJTベースの「誰一人取り残さないカーボンニュートラル」を戦略化することで、ESG投資における企業価値を高め、脱炭素市場におけるシェアの拡大を狙うべきではないだろうか。

リンク
▶デロイト トーマツの考えるグリーン・トランスフォーメーション(GX)|クライメート(気候変動) & サステナビリティ|デロイト トーマツ グループ|Deloitte