インターネットを舞台とする競争の進展によって、小さな企業と巨大企業の競争がますます一般的になっている。動きの速いフレキシブルな新規参入企業が、有力な既存企業に伍して戦っている。しかも、ソフトウエアやネットワーク機器などのハイテク分野だけではなく、小売業のように、従来テクノロジーとはあまり縁がなかった分野でもこうした傾向が見られる。よく知られる例としては、書籍販売のアマゾン・ドットコムとバーンズ&ノーブル、玩具小売りのeトイズ(eToys)とトイざラスの競争が挙げられる。そして最も注目すべきは、新興のインターネット・ソフトウエア開発企業、ネットスケープと、世界最強のソフトウエア企業、マイクロソフトの戦いである。

 こうした企業の多くは、他社と競争するうえで、我々が「ジュードー(柔道)・ストラテジー(注1)」と呼ぶアプローチをとっている。武道の一つである柔道の世界では、力と力のぶつかり合いを避け、相手の体重と力を利用して自分に有利に試合を運ぶ戦術がとられる。同様に、インターネット分野のスタートアップ企業で知恵のあるところは、競争相手のリソースや強み、規模を逆手にとろうとする。

 ジュードー・ストラテジーの基本は、迅速な動き、フレキシビリティ、レバレッジ(テコの原理の応用)の3要素である。この一つ一つを、企業の競争原理に応用できる。新たな市場、競争相手のいない市場にすかさず参入し、他社との正面対決を避けるべし、というのがジュードー・ストラテジーの第1の基本原則である。第2の基本原則として、自分より力が勝る相手からまともに攻撃を仕掛けられたときには、身をかわさなければならない。そして最も大切なのは、敵の影響力と強さを逆手にとって反撃する、という第3の基本原則である。

 ジュードー・ストラテジーをとる企業は、相撲の技を使わないようにする。相撲の勝負では、取っ組み合いによって相手を投げ倒すか、土俵の外に押し出そうとする。素早い身のこなしと機転も大切だが、体重と筋力の強さのほうがはるかに大きな意味を持つ。小さな挑戦者が相撲の取組に名乗りを挙げる――企業間の競争にたとえれば、資金力の豊富な大企業と競争する――と、たいていは負け試合に終わる。

 ジュードー・ストラテジーは、大規模で確立された企業と競争する小企業すべてに役立つ考え方で、激動するテクノロジー主導のインターネット・ビジネスでの競争にとりわけ有効である。もとよりジュードー・ストラテジーは、新興か古参か、ハイテク分野かローテク分野か、あるいは規模の大小を問わず、あらゆる企業にとって強力な武器となりうる。実際、皮肉なことに、巨大なマイクロソフトはネットスケープとの戦いを通して、ジュードー・ストラテジーの実践にかけて、ネットスケープと互角、あるいはそれ以上であったことを見せつけた。

 本稿では、ジュードー・ストラテジーの基本原則と限界について、ネットスケープとマイクロソフトの戦いを例に挙げながら解説する。

闘いの火ぶたネットスケープ対マイクロソフト

 ネットスケープ・コミュニケーションズは、シリコン・グラフィックスの創業者ジム・クラークと、イリノイ大学を卒業したばかりのマーク・アンドリーセンが1994年4月に設立した企業である。アンドリーセンは在学中から、ワールド・ワイド・ウェブ(以下、ウェブ)用のマス・マーケット向けブラウザの先駆けであるモザイクの開発に携わり、その原動力の役割を果たしていた。モザイクは、簡単に操作できるボタンを主体としたインターフェースを持ち、画像と文字情報を一体化したため、インターネット上の情報は、印刷物と同じくらい見栄えがよく、役立つものになった。モザイクはたちまちインターネットの「キラー・アプリケーション」となり、インターネットを消費者が利用できるメディアへと変貌させた。

 93年2月にモザイクがリリースされると、ウェブは文字どおり一夜にして爆発的な普及を遂げた。93年6月から94年6月の間に、ウェブ上のサイト数は2000%増加したのである。94年末には、利用者がウェブ上からダウンロードしたモザイクは200万コピーに達していた。その後もモザイクは、月間10万コピーという勢いで普及数を伸ばした。

 クラークとアンドリーセンがネットスケープを設立したのは、ウェブの爆発的普及というビジネス・チャンスに乗じるためであった。彼らの長期的なビジョンは、シンプルで汎用的なインターフェースを提供して、パーソナル・コンピュータに始まり、パームパイロット(PalmPilot)などの携帯情報端末(PDA)、あるいはディスプレー付きの携帯電話まで、ありとあらゆる通信機器の利用者が、世界中の情報にアクセスできるようにすることだった。また短期的には、バグだらけでボロボロのモザイクの後釜を狙う製品である高品質のブラウザと、個人向けウェブサイト構築ソフトであるウェブサーバーという、2つの製品に重点を置いていた。

 同社初のブラウザ製品であるネットスケープ・ナビゲータ1.0は華々しい成功を収め、94年12月のリリースから2カ月足らずで、60%以上の市場シェアを獲得した。そして95年には、ネットスケープは売上高を8000万ドルに伸ばし、勝ち誇ったように株式公開を果たした。95年12月、産声を上げてからわずか20カ月にして、同社の株式時価総額は70億ドル超に達していた。