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マネジャーは「指揮台の上に立つ」偉大な指揮者であるべきなのか
ブラムウェル・トーヴィーは、ウィニペグ交響楽団の音楽監督であり、指揮者でもある。彼は(ビジネスで言うところの)典型的なマネジャーのようには見えないかもしれない。実際、オーケストラの指揮は、たとえば「ニューヨーカー」誌の時事漫画によく登場するような、個室の幹部用オフィスで業績表に囲まれて座っている身だしなみのよいエグゼクティブと比べると、かなり奇抜なマネジメント形式に見えるだろう。しかし、知識労働が重要性を増し、プロフェッショナルによってますます多くの業務がなされるようになるなか、ブラムウェルがオーケストラを指導する方法は、今日のマネジメントの何たるかを非常によく示しているのではないだろうか。
私は研究生活を通じて、折に触れマネジャーの業務を研究してきた。また最近では、さまざまなタイプのマネジャーと日々を共にした。そこで、ビジネスリーダーの仕事を説明する際、オーケストラの指揮者が頻繁に引き合いに出されるので、指揮者と行動を共にすれば得るものも多いのではないかと考えた。ブラムウェルと一日を過ごす目的は、マネジャーとは指揮台に立つ偉大な指揮者――すべてを完全にコントロールするリーダー――であるという神話を探究するとともに、おそらくはこうした神話を破壊することだった。
考えてみれば、オーケストラは、コンサルティング会社や病院といった、他の多くのプロフェッショナルな組織と似ている。すなわち、このような組織は、高度な訓練を積み、するべきことをわきまえ、それをきちんとこなす人々の業務を中心に構成されているということである。こうした組織におけるプロフェッショナルたちは、仕事のやり方を教えてくれる一定の作業手順や、(効率的な仕事の方法をアドバイスする)時間研究【*】のアナリストを必要としていない。この現実は重要であり、マネジメントやリーダーシップについて我々が抱いている多くの先入観を覆えそうとするものである。実際、こうした環境においては、あからさまにリーダーシップを発揮するよりも、控え目にリーダーシップを表現するほうが意味を持つかもしれない。
オーケストラ指揮者のディレクションの範囲はかなり制限されている
偉大な指揮者が指揮台に上がり、指揮棒を振り上げると、奏者たちは一斉に音を出す。そして次の一振りで、一斉に演奏をやめる。それは、風刺漫画に出てくるマネジメントそのままの、絶対的なコントロールのイメージである。
だが、それはすべて神話だ。
ブラムウェルがコントロールしているのは、本当は何なのか? 彼が実際に手にしている選択肢とはどんなものだろうか? ブラムウェルによると、彼の仕事は演奏曲目の選定、演奏の仕方の判断、ゲスト奏者の選定、楽団員の補充、そして外部とのちょっとした付き合いから構成されるという(対外的な業務にどの程度携わるかは指揮者によって異なるようだが、ブラムウェルはこれを楽しんでいる)。オーケストラの管理面と財務面は、同楽団の共同マネジメントを行っているエグゼクティブ・ディレクター、マックス・タッパーが、ブラムウェルと共に担う。
マネジメントに関する旧来の文献の多くは「コントロール」、すなわちシステム(ある規範やルールが一人ひとりの頭の中に内在化する状態)を作ることや、〝組織(システムに基づいて皆が共同作業を行うときに必要とされる一定の作業手順)〟を作ること、意思決定を行うことについて述べている。
オーケストラにもシステムは山ほどある。すべてオーケストラという組織をコントロールするためのものだ。しかし、それはマネジャーである指揮者にではなく、プロフェッショナルである奏者たちに本来備わっているシステムである。ブラムウェルでさえ、それらすべてに従わなくてはならない。
同じことは〝組織〟についても言える。実際、こちらのほうがよりその傾向が強い。外部から押し付けられたきわめて厳格な序列に従って、だれもが決められた場所に座っている様子を見ればよい。あるいは、演奏前の音合わせやソロ演奏のリハーサルがうまくいったときに足を踏み鳴らすのを見ればよい。こうした儀式は高度な〝組織〟化を意味しているが、すべてオーケストラ奏者というプロフェッショナルな仕事に付随するものである。
マネジャーではなく、プロフェッショナル自身が〝組織〟の構造化とコーディネーション作業の大部分を担っている。プロフェッショナルの業務の中にも、少人数のチームやタスクフォースにおいて非公式なコミュニケーションを頻繁にとりながら行われるものもある。しかし、プロフェッショナルであるということは、元来標準化された手順を実行するということである。



