「ストーリー形式」の戦略提起がビジネスを成功させる

 3Mでは「ストーリー」(物語)を語る。

 創業間もない3Mの株価は、(本社のある)地元セントポールのバーでウイスキーを1杯飲むのと同じくらいの値段でしかなかった。このことは、社員ならだれでも知っている。初期の研磨材製品での失敗、その後のマスキング・テープや「ウェット・オア・ドライ」耐水サンドペーパーの開発……といったことも、ストーリーとして語られている。さらに最近では、社内のある研究者が聖歌隊で歌う際に、讃美歌集に挟んでも落ちない栞が欲しいと思ったことが、後の「ポストイット」ノートの誕生につながった、というストーリーが生まれている。

 営業担当者のトレーニングも同じである。3Mの製品はどう役に立つのかが顧客にわかるように、言葉を紡いでストーリーを描かなければならない。たとえばある社内の表彰式でも、表彰される企画や社員についてのストーリーを発表し、成果の内容と、それが重要な理由を説明するようにしている。

 ストーリーを重視する企業文化が育ったのは、偶然かもしれない。だが、社内ではそうは考えていない。ストーリーこそが、3Mのアイデンティティの中心だと私たちは感じており、自分自身を理解し、それを互いに伝えあう方法の一部分なのである。3Mにおけるストーリーは、〝心の習慣〟ともいえよう。まずストーリーを通じて、複雑で多次元的な状況における自らの存在と、事業のオペレーションのあり方が明らかになる。それによって、戦略的な変革のチャンスが見えてくる。こうして、成功へのアイデアが生まれてくるのである。

 こう考えてみると、当初は3Mでも、戦略プランニングの段階でストーリーが無視されていたのには、驚いてしまう。つまり、成功を目指してどのような戦略を描くべきかを考えるとき、そもそもストーリーという発想がなく、それが当然になってしまっていたのだ。

 妙な話だが、見方を変えればそれも無理もないのかもしれない。というのも、経営幹部はプランを立てる際に、ほぼどんな場合でも、項目を羅列し、概要を述べ、プランを列挙するだけだったからだ。本論文執筆メンバーのリーダーであるゴードン・ショーは、数年にわたって3Mの戦略プランをチェックしてきた。その過程で、次第に不満を抱くようになっていった。なぜなら、そこには深い洞察やコミットメントが示されていなかったからである。そのほとんどは、会社の機能強化に「プラスになること」を羅列するばかりで、市場での成功をもたらす論理や根拠が説明されていなかった。

 そこで徐々に膨らんできたのが、「プランが単なる項目の羅列になっていることが大きな問題なのではないか」という疑問である。数百ものプランに目を通した後、ゴードンはもっと一貫性と説得力に富んだプランの提示方法がないか模索し始めた。そこから生まれたのが「ストーリー形式」による戦略提起である(囲み「ストーリーの科学」を参照)。現在3Mでは、各自がプランニングを行う段階で「ストーリー形式」を使って戦略を提起し、プランの裏にある考えを明確にするだけでなく、他の社員の想像力や興奮を喚起する工夫をこらしている。

ストーリーの科学

 人間の知能や記憶において、「ストーリー」は重要な役割を担う。認知科学者のウィリアム・カービンは、幼い頃に物語(ストーリー)を聞くことを通じて、人間がいかにプランニングの能力を高めていくかを次のように説明している。子供は物語から「行動の流れを予測し、それによる影響を考え、その行動をとるかどうかを決定する」(『サイエンティフィック・アメリカン』1994年10月号)。ストーリーとプランニングは、根本的なところで結びついているのである。

 また、学習においてもストーリーは重要な役割を果たす。高校生の学習プロセスについて言語学者が行った調査によれば、『タイム』や『ニューズウィーク』誌を使ったストーリー形式の学習が、学習・記憶という点で最も効果的であるという結果が出ている。たとえば、米国史の教科書をストーリー形式に書き換えてみたところ、普通の教科書の3倍の記憶効果があったという。

 対照的に、認知心理学では「箇条書き」による表現は非常に覚えにくいとされている。*いわゆる「親近(性)効果」と「初頭(性)効果」【*】が働くからだ。普通の人は、箇条書きの最初と最後の項目はよく覚えているが、他の項目はそうでもない。さらに危険なのは、記憶が各自の関心に左右されてしまう点である。自分の好きなことや興味を持ったことは覚えていたとしても、全体像を覚えてはいないのである。

 優れたストーリー(および優れた戦略プラン)は、関係性、時間的な経緯、因果関係、項目間の優先順位を明示できる。そして、それが「複雑な全体」としてとらえられ、記憶される可能性が高い。認知科学でもかなり実証されているように、この可能性こそ、ストーリーによる戦略提起を支持する強力な根拠なのである。

内容の具体性に欠け、組織のコミットメントを低めてしまう「箇条書き形式」

 我々の知る限り、どの企業のプランニングでも、「項目―概要」といった形式に従っている。何かを書いたり、情報を提示したりする際のおなじみの方法だ。無駄がないし、複雑なビジネス状況を、少数の明確な要点にまとめ上げることができる。議論の主旨が明確になり、発言者としても、論点の変更や修正、明確化、再編を臨機応変に行う自由が得られる。ある意味では、この形式は、戦略プランニングという流れの中での、業務の進め方そのものの産物といえる。そこには、会議のやり方や、「複雑な状況を簡潔で明確にまとめなければ」とマネジャーやプランナーが焦りながら感じる、強いプレッシャーがうかがわれる。

 では、いったい何が問題なのか。

 戦略プランニングのレポートを書く際に使う言葉が、単に提示するという目的しか持たないのなら、つまり単にアイデアをまとめて他人に提示すればよいだけなら、それをどう書こうとたいした問題ではない。だが、「書く」というのは「考える」ことである。項目を羅列すると、「考える」ステップが省略されてしまう。よって、実際は良いことばかり並べ立てただけの場合でも、プランを練り上げたかのような甘い錯覚に陥ってしまうのである。