ロンドンの警官が、ある女性にターン違反の切符を切った。女性が、どこにもターン禁止の標識がなかったと抗議すると、警官は、折れ曲がっていて道路からは見えにくい標識を指差した。怒った女性は、裁判に訴えることを決心した。ついに、彼女の審問の日がやってきた。彼女は申し立てを行うのが待ち遠しかった。ところが、彼女が自分側の事情を話し始めようとしたところ、判事は彼女の話をさえぎり、即座に彼女の言い分を認める裁定をした。

 彼女はどのように感じただろうか。自分の正当性が認められた? あるいは、勝った? あるいは、満足感に浸った?

 実は、彼女はいらいらし、ひどくみじめになったのである。「私は公正を求めてきたのに、判事は何が起こったかを私に説明させてくれなかった」と彼女は不満だった。言い換えれば、結果は気に入ったけれど、その結果に至るプロセスが気に入らなかったのである。

 エコノミストたちは、理論上、人々は効用を最大化しようとするから、たいてい、自己の利益を合理的に計算して行動するものだ、と仮定する。すなわち、エコノミストは、人々は単に結果を重視する、と仮定する。この仮定は、経営の理論や実践に過剰に移入されてきた。たとえばこの仮定は、マネジャーが従業員の行動を管理したり動機づけたりするために伝統的に使う手段――インセンティブ・システムから組織構造まで――に埋め込まれている。しかし、マネジャーはこの仮定を再考すべきである。我々は皆、実生活ではこの仮定が常に真実とは限らないことを知っているのだから。人々は結果を気にするが、ロンドンの女性のように、結果を生み出すプロセスについてもまた、気にするのだ。人々は、彼らの言い分が考慮されたか――たとえ退けられたとしても――を知りたいのである。結果も問題だが、その結果を生み出すプロセスの公平さも、問題なのである。

 今日ほど、「フェア・プロセス」という考え方が、マネジャーにとって重要になったことはない。フェア・プロセスが重視されだしたのは、ものづくりをベースとする経済から、価値創造がますますアイデアやイノベーションに依存する、知識をベースとする経済へと移行しようと奮闘している企業において、それが強力なマネジメント・ツールであることが判明したからである。フェア・プロセスは、高いパフォーマンスを実現するために重要な、態度や行動に深く影響する。それは信頼を築き、アイデアを導き出す。フェア・プロセスがあれば、マネジャーは、どんなに骨の折れるまた難しい目的も、意気に感じた従業員の自発的な協力を得て達成することができる。フェア・プロセスがなければ、たとえ従業員が望んでいる結果であっても、それを達成することは難しい。あるエレベーター・メーカー(ここではエルコ社と呼ぶ)の経験を紹介しよう。

結果はよいが、アンフェアなプロセス

 1980年代末、オフィス・スペースの供給過剰で、アメリカの大都市では空き室率が最高20%にもなっていたため、エレベーター業界の売れ行きは下降気味であった。国内需要の減少に直面し、エルコ社は経営を改善しなければならないと悟った。そこで、連続生産方式であるバッチ生産システムを、小集団ごとに完結したタスクを持つことで、非常に高いパフォーマンスを達成できるセル型生産システムに切り替えることにした。業界不振のため、トップ・マネジメント層は早急に変革すべきと感じていた。

 セル型生産システムの経験がなかったため、エルコ社はコンサルタント会社に、この変革のマスタープラン作成を依頼した。エルコ社はコンサルタントに、できるだけ短期間に、かつ従業員の邪魔をしないで仕事をするよう頼んだ。新しい生産システムは、まず、チェスター工場に導入することになった。チェスター工場では労使関係が良好で、1983年に従業員が組合から脱退していた。次いで、ハイパーク工場にそのやり方を導入することにした。ハイパーク工場では、非常に強力な組合が存在し、生産システムであれ何であれ、「変化」には抵抗すると予想された。

 皆から愛されていた工場長のリーダーシップの下、チェスター工場ではすべての点で理想的な運営が行われていた。そこを訪れた顧客はたいてい、従業員の知識と熱意に感動した。あまりに評判がいいので、マーケティング担当のバイス・プレジデントは、この工場をエルコ社の最高のマーケティング・ツールの一つと見ていた。彼は、「顧客にチェスターの従業員とちょっと話をさせれば、彼らはエルコ社のエレベーターを買うのが賢い選択だと確信して帰る」と述べた。

 しかし、91年1月のある日、チェスターの従業員が職場に着くと、工場に見知らぬ人々がいるのを発見した。ダークスーツに白いシャツ、ネクタイのこの人たちはだれなのだろう。彼らは顧客ではなかった。彼らは毎日現われ、互いに低い声で話し合った。彼らは従業員と交流しようとはしなかった。彼らは人々の背後をうろつき、ノートをとり、奇妙なダイアグラムを書いた。噂話によると、彼らは、従業員が午後帰社した後に、工場のフロアを歩きまわり、人々の職場を覗き見、いろいろ議論しているとのことだった。

 この時期、工場長がよく留守をするようになった。彼は、エルコ社の本社でコンサルタントと会議することに、より多くの時間を費やしていた。従業員の気が散らないように、工場から離れたところで会議ができるよう計画されていたのである。しかし、工場長の不在は逆効果だった。人々は不安になった。自分たちの船の船長が、自分たちを見捨てているように思えるがなぜだろう。噂はどんどん広がっていった。だれもが、コンサルタントは工場を縮小するのだろうと確信した。そして自分たちはきっと職を失うのだ、と思った。工場長がいつも行ってしまうし――明らかに彼は自分たちを避けている――、自分たちが何も説明を受けないということは、経営陣が「自分たちを邪魔物扱いしようとしている」に違いない、としか考えられなかった。チェスター工場における信頼とコミットメントは、みるみる悪化した。まもなく従業員たちは、国内にある他の工場がコンサルタントの助力を得て閉鎖した、という新聞記事の切り抜きを持ってくるようになった。従業員は、経営陣の気まぐれのために、今度は自分たちが追い詰められるような気になっていたのである。