1994年11月、インテルは、顧客の怒りに直面していた。ペンティアム・プロセッサーには計算に影響を及ぼす欠陥があるとの報道を受け、顧客から製品交換を迫られたのである。同社が最初にとった対応は、購入したチップに欠陥があることの証明を、顧客に求めるというものだった。欠陥を証明できなければ交換には応じられない、というわけである。インテルは、おそらくほとんどのユーザーはこの欠陥から何ら影響を受けないだろうし、計算結果に影響が表れる可能性はわずか90万分の1であると主張したが、この製品に対する消費者の信頼感は、すでに失われ始めていた。同社は、嵐のような抗議に見舞われながらも、1カ月以上、かたくなにその立場を守り続けた。そうこうするうちに、ペンティアム・プロセッサーの大口購入者であるIBMが、このチップを搭載したコンピュータの出荷を停止した。インテルは、市場崩壊の瀬戸際で、ようやく無条件返品を認める方針をとった。

 こうして痛い目にあった同社のCEO、アンドリュー・グローブは、後にこう語っている。「我々は、事実と分析に基づく技術者的な当社の思考様式と、感情的とまでは言わないが、自分で選択することに慣れた顧客の思考様式との板挟みになってしまったのだ(1)」

 彼はまた、こうも述べている。「我々が見過ごしたこの問題の核心とは…人に、そんなことは心配するなとか、ああしろこうしろなどと、指図できると思い上がっていたことだ」

 リコール【*】にかかった費用は、推計約5億ドル。金融界や経済誌ではいつも高い評価を受けているグローブだが、リコールについては苦い教訓を得ることになった。

 製品リコールの件数は増加している。1988年、米国消費者製品安全委員会が関わったリコールの件数は221件、回収された製品数は800万だった。ところが5年後の93年には、リコール件数は367件に、製品数は2800万に増加している。リコールは、新製品、既存製品を問わず頻繁に発生しており、また、さまざまな深刻な影響をもたらす可能性もある。なかには、ブランドや企業そのものまで崩壊させてしまった例もある。

 では、なぜもっと多くの企業がリコールに備えないのだろうか? 一つには、リコールが企業の評判にどれほど大きな影響を与えうるかを、これらの企業が認識していないからである。また一つには、時間の問題もある。新製品発売前の目の回るような忙しさのなか、たいていのマネジャーは、問題が起こった場合に新製品を引き揚げる方法など、考えもしないものである。しかし、「自社のリコール対策は万全」と信じているマネジャーでも、リコールをうまく進めるために必要なことを本当に理解している人は少ない。顧客対応およびマスコミ対応の基本計画や、リコールの際の社内連絡体制に関する漠然とした考えはあっても、こうした準備だけでは、リコールの損害を本当の意味で最小化する計画には程遠いのである。

 必要なのは、リコールの際に関連するすべての職務部門がなすべきことを網羅した、社内横断的な戦略である。また、この戦略は、リコールの全段階を時系列的に網羅しておく必要もある。本論では便宜上、職務部門を「方針決定およびプランニング」「製品開発」「コミュニケーション」「物流および情報システム」の4つに分けて考える。企業の計画は、これらの各職務部門を、リコールの3つの段階、すなわち「問題の発見」「リコール自体」「事後処理とフォローアップ活動」に備えさせる必要がある。

 我々は、さまざまな企業がリコールにどのように対処してきたかを調査し、無傷で立ち直った企業の考察に基づいて、マネジャーが自社の現在のリコール戦略を評価し、自社のニーズに合わせた計画を策定できるよう、一つの枠組みを作成した。

適切なリコール・マネジメントの見返り

 製品リコールに適切に対処すれば、損害を最小限に食い止められるばかりか、予想外の収穫を得るチャンスに出合えるかもしれない。サターン・コーポレーションが実施した早期リコールの場合がそうである。サターン発売の1カ月後、同社は、この車の前部座席のリクライニング装置に欠陥があることを発見した。同社は、問題を突き止めるとすぐ、自主的に1480台の車をリコールした。閉回路テレビ(CCTV)【*】でディーラーにリコールの説明をした後、同社は顧客全員に翌日配達郵便で手紙を出し、個々の車に影響があるかどうかを知らせた。リコールがきわめて円滑に進んだため、同社ではこのことを広告キャンペーンに取り入れた。あるコマーシャルでは、サターンの営業担当者が交換用の座席を持って飛行機でアラスカに向かう様子が描かれた。アラスカにはディーラーがないので、車は別の場所で購入されたのである。顧客を満足させるためなら、サターンはどんな遠くにでも出向くということを、このコマーシャルは訴えていた。

 たしかに、大方の水準からいって、サターンのリコールは小規模なものだったが、同社がもしリコール・マネジメント戦略を準備していなかったら、製造、サービス、コミュニケーション、マーケティングの諸活動をこれほど容易にコーディネートすることはできなかったであろう。実際、同社はリコールへの対応方法を、1990年10月の新車発売より1年以上も前に決定していたのである。同社のマネジャーたちは、自社の成功が顧客やディーラーとの長期的関係の構築にかかっていること、また、こうした関係を脅かすもの――たとえばリコール――には、迅速かつ効果的に対処する必要があることを知っていた。また、彼らはマーケティング活動を補完しうるリコール計画の価値を認識していた。実際、サターンのリコールへの段取りとそれに続く措置は、同社の事業戦略の一部だった。そして、その戦略は十分、成果を上げたのである。