日本のビジネスの世界は、巨大企業のメーカー、結束の固い系列企業、会社に忠実な終身雇用のサラリーマンで成り立っているというのが、従来の西欧人の見方だった。

 しかし、今日これとは別のビジネスの世界が出現してきている。若い起業家がハイテク企業を興して、日本の伝統的なビジネスの世界に、新しいグローバルな見方と新しい世代の精神をもたらしているのである。ソフトバンクの創立者で、社長であり、最高経営責任者でもある孫正義氏(34歳・当時)は、こうした新しいタイプの日本人起業家を代表する人物である。

 在日韓国人を父に持つ孫氏は、アメリカの高校をわずか2週間で卒業後、カリフォルニア大学バークレー校で勉学のかたわら、学生時代からいくつかのビジネスをすでに手がけていた。20歳のとき、高度な技術を生かした発明で特許を取り、それをシャープ㈱に100万ドルで売り込んだ。日本に帰った1年半後の1981年にソフトバンクを設立した。ソフトバンクは、日本で営業しているほか、アメリカと韓国に系列会社を持っている。

 このインタビューは、HBRのアラン M. ウエバー編集長(当時)が東京のソフトバンクに孫社長を訪ねて行われた。

HBR(以下略:以下太字部分がHBR):会社を創立されて10年になるわけですが、まず創立当初の会社の様子などをお聞かせください。

 孫社長(以下略):私が会社を始めたときは、従業員といってもアルバイトが2人、それに小さな部屋があるだけでした。私はリンゴ箱を2つ並べた上に立って、演説でもするように、まず挨拶をしました。大きな声で2人のアルバイトにこう言ったんです。「私はこの会社の社長だ。だから、きみたちは私の言うことをよく聞かなければいけない。5年もすれば、わが社は年商7500万ドルの会社になる。5年経てば、パソコン・ソフトのディストリビューターのトップに立って、1000店のディーラーを相手にしているはずだ」と。しかもこれを大きな声で言ったんです。

 2人のアルバイトはあっけにとられていました。私の前で、目を丸くして、口をポカンと開けたまま立っていました。この男、正気でないのではないかと思ったんでしょう。2人とも、すぐに辞めてしまいました。

 それが1981年のことでした。それから約1年半後、私の会社は200店のディーラーと取引するようになっていました。現在我々が取引しているディーラーは1万5000店です。スタートした当初は、2人のアルバイトを置いて、ソフトウエアの販売だけをする会社で、売上げも1万2000ドル程度でした。それが10年経つうちに、ソフトウエアの販売のほかに、書籍と雑誌の出版、最低通話料回線の自動選択装置(NCCBOX)、システム・インテグレーション【*】、ネットワーク・コンピューティング、CAD/CAM【*】などの多角事業を行う会社に発展して、従業員570人、年商も3億5000万ドルになりました。

 それだけ多様な分野の仕事を一つの会社でやっていくことについて、何か独自の企業哲学をお持ちでしょうか?

 コンピュータは人間の頭にしばしばたとえられます。私は、ハードウエアは人間の頭の骨、つまり頭蓋骨にあたると思っています。半導体がその中身、つまり脳ミソです。ソフトウエアは知恵、そしてデータは知識です。