戦後数十年間はマネジメント・システムの最盛期であった。この世代のトップ・マネジメントは、急テンポで進展する成長と多角化に役立つようデザインされた、多種多様な計画立案・コントロールのツールのポートフォリオを、熱心に導入した。この経営革命に最も力を入れて取り組んだのは、産業用研磨剤メーカーで、スリーエムのライバル、ノートン・カンパニーであった。

 多角化による利益の増大を求めて、ノートンは1970年代初期に、PIMS(Profit Impact of Market Strategies=マーケティング戦略の収益影響度)を最初に導入した。それは、37の要因が企業の収益可能性にどう影響するかを分析する、コンピュータ・モデルである。同社は、ボストン・コンサルティング・グループの成長/シェア・マトリックスをいち早く採択した企業のひとつであった。このマトリックスは、企業の各事業部のキャッシュフローの特色に基づいて、その戦略的役割を割り振るという方法だった。

 このように、ノートンは常に最新のマトリックス・システムを進んで導入すると同時に、9象限のマトリックスに、早々と転換を図った。このマトリックスは、企業が特定の産業構造の競争力と魅力に応じて、その戦略を各事業部に適合させるように、構成されていた。ノートンのトップ・マネジメントは、計画・コントロールのレポートやスタッフによる分析をもとに、これらのツールや類似のツールを、既存事業単位の利益を絶えず向上させつつ、企業買収の選択を行うために活用した。

 このように、ノートンはあらゆる最先端マネジメント・システムを駆使したが、多角化による成果は、経営陣や株主の期待とは、ほど遠いものだった。一方、同社の中心的な研磨剤事業は、依然として低迷状態にあった。こうした業績不振が長く続いたために、その経営基盤は弱体化し、1990年にはついに、フランスの巨大会社サンゴバン(Compagnie de Saint-Gobain)に買収された。

 一方、スリーエムはノートンとは大きく異なる方法で、ノートンがかなえられなかった多角化の目標を達成した。スリーエムの指導者たちは、トップダウン方式の計画・コントロールには、ほとんど重点を置かなかった。その代わりに、前線のエンジニアやセールス要員の創意を育成することで、収益性の高い新製品や有望な新技術を連続的に生み出すような、企業家的エンジンを構築した。

 スリーエムとノートンの軌跡をたどると、戦後の好況期には、両社はほぼ同規模であった。ところが1980年代半ばには、スリーエムの売上高は、かつてのライバル、ノートンの8倍にものぼった。皮肉にも、ノートンがサンゴバンに買収された1990年には、スリーエムはフォーチュン誌の「賞賛されるべき10大企業」(Ten Most Admired Corporations)にランクされた。これは6年間を通じて5度目のランク入りであった。

 ところで、スタートも目ざすところも類似している両社の業績に、なぜこのような大差が生じたのか。それは主として、両社の経営理念とスタイルによるものといえる。つまり、ノートンがシステム駆動型企業だとすると、スリーエムは人間中心の企業家モデルの典型であった。それは、今日の脱工業化、グローバル市場で競争していくためには、不可欠の要因であった。

 スリーエムのトップ・マネジメントは、ノートンが展開してきた方向とは著しく異なる関係を、長い年月をかけて、社員との間に築き上げてきた。情報・計画・コントロールシステムは、経営プロセスの一部であることは明白だが、スリーエムの主なコミュニケーション・チャネルではなかった。同社では、個々の企業家はいつでもそのアイデアを、マネジメントに直接提示し、フェース・ツー・フェースで討議することができる。

 その結果、スリーエムのトップ・マネジメントは、自身の役割について、こう考えるようになった。〝社員の行動を指揮し、コントロールするより、むしろ社員のイニシアチブを育成し、そのアイデアを支援することを重視する〟。