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今日のように多くの新しいマネジメント技法が存在したことはない。おそらく、1940年代後期もしくは1950年代前期以来のことであろう。ダウンサイジング、アウトソーシング、TQC、VE、ベンチマーキング、リエンジニアリングなどいろいろある。それぞれが、強力な手法である。しかし、アウトソーシングとリエンジニアリング以外の手法は主として、すでになされていることを違ったやり方でやるための手法である。つまり、「いかになすか」の手法である。
ところが今や、「何をなすか」が、マネジメント、特にこれまで長期にわたって成功を享受してきた大企業のマネジメントにとって、主たる課題となっている。
次のようなことは、最近よくある話である。つい昨日までスーパースターだった会社が突然、低迷し、挫折して困難に陥り、経営不能の危機にある自らの姿に気づく。これは、決してアメリカに限らない。日本、ドイツ、オランダ、フランス、イタリア、そしてスウェーデンでも、よく見られる。また、企業以外でも頻繁に起こるようになってきた。労働組合、政府官庁、病院、美術館、教会である。実際に、そのような企業以外の組織のほうが、より御し難い問題に直面している。
このような危機一つひとつの根幹の原因は、ものごとを下手になしているからではない。間違ったことをしたからでさえない。たいていの場合、実際に、正しいことをなしている。ただしそれを、実を結ばない形でなしているのである。この明らかに逆説的な事態は、何が原因となっているのか。
組織の設立に際して基礎とされた前提、そしてそれに基づいて組織が運営されてきた前提が、もはや現実にそぐわなくなったのである。それらの前提こそ、組織の行動を形成するものである。何をなし、何をなさざるべきかの決定を左右し、組織として、何を意味のある成果と考えるかを定義するものである。
まず、市場に関する前提がある。顧客と競争相手、そしてその価値観と行動を明確にする前提がある。技術と、そのダイナミクスに関する前提がある。また、会社の強みと弱みに関する前提がある。それらは、会社は何のためにあるかについての前提である。私が、事業の定義と呼ぶものである。
企業であれ何であれ、あらゆる組織が、自らについて定義を持つ。実際に、明瞭で一貫性があり、焦点の定まった有効な定義は極めて強力である。たとえばドイツの政治家であり学者でもあったヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、大学というものに関する徹底して新しい定義に基づいて、1809年にベルリン大学を創設した。そしてその後100年以上にわたって、ヒトラーが現れるまで、彼の大学の定義が、ドイツの大学、特に学問と科学研究を規定していた。
1870年には、建築家であり、かつ最初のユニバーサル・バンクであるドイツ銀行の最初のCEOであるゲオルグ・シーメンスが、同じように明瞭に事業の定義を定めた。すなわち、いまだ地域的でかつ分裂したままのドイツを、産業の発達によって統一すべく起業家に資金供給することを、銀行の定義とした。その後20年でドイツ銀行は、ヨーロッパ随一の金融機関となり、2つの世界大戦、インフレ、そしてヒトラーを経験したにもかかわらず、確固たる存在となった。また、1870年代には、三菱が明瞭かつ全く新しい事業の定義に基づいて設立され、その後10年で、台頭する日本の首位の企業となり、その後20年で最初の真の多国籍企業の一つとなった。
同じく、事業の定義によって、20世紀後半のアメリカ経済を支配したゼネラル・モータース(GM)やIBMのような会社の成功と、これらの企業が直面している課題が説明できる。まさしく、これほど多くの巨大かつ成功した世界中の組織が、今日の不調に見舞われているのは、その事業の定義が、もはや機能しなくなったからなのである。
IBMとGMのケース
大きな組織が困難に陥ったとき、とりわけ、それが長年にわたって成功を収めてきた場合には、その機能の鈍さ、自己満足、傲慢さ、肥大した官僚主義を人々は非難する。しかしそれらの批判は、正しい見方なのであろうか。確かに、そうも言える。しかし、意味のある正しい説明であることは稀である。近年、困難に陥ったアメリカの大企業の中で「傲慢な官僚主義」として最も目につき、広く悪しざまに言われた2つの企業について見てみる。



