今日の企業は新製品や新サービスを通じ、絶えず変転する顧客の要求へ迅速に対応し続けねばならない。これは既成事実である。競合他社のペースから遅れないために、マネジャーは知識労働者の生産性を向上させねばならない。しかし、生産性の向上にとって本当に頼りになるのは、人々の期待を集めてきた全社コンピュータ・ネットワークのような新技術とは別のところに存在しているのである。新型コンピュータを設置するのではなく、専門職の作業方法を変革することこそ、この知的資産にテコ入れするための最良の手段なのだ。

 とかくマネジャーは知識労働者の生産性向上という課題に踏み込むことを敬遠してきた。ハイテクなど創造性主導型の事業を営む企業が、彼らの生産性向上を図るのに叱咤激励を避けてきたのは当然である。設計開発者、科学技術者、法律家、プログラマー、ジャーナリストといった専門職はすでに十分――たぶん週50~60時間も――働いている。そんな彼らにもっと働けと強要するのは逆効果なのだ。工場労働者や一般事務員とは違って、専門職には種々の選択肢がある。強制されると自分のアイデアを隠匿したり、はいサヨナラと言いかねないのである。

 専門職の中に他者(二流)よりも図抜けて成績が良い人間(一流)がいることは知られているが、どうしてそうなるのかは一流の専門職自身にもわからないものだ。しかしながら、一流と二流の違いをはっきり定義づけることこそ、専門職の生産性向上にとって必要不可欠な第一歩なのである。この7年間、我々が研究対象としてきたのは、AT&T社の誉れ高きベル研究所(ベル研)に勤務する設計開発者やコンピュータ技術者たちである。我々の研究から、一流技術者を育成するための作業戦略に基づいた人材訓練プログラムが開発された。そして、このプログラムによって生産性――マネジャーと技術者双方で評価される――が飛躍的に向上したのである。

 コンピュータ・プログラミングのような分野では、一流と二流との間には歴然とした差があると報じられてきた。「研究所にいる技術者のうち、一流技術者は10~15%で、残りの大部分はごく普通の、堅実な二流技術者です」。ベル研のある管理職はこう述べたことがある。では、なぜそうなのかと尋ねると、もっともらしい説明が返ってきた。いわく、一流は知能指数(IQ)が高いからだ、問題解決能力に長けているからだ、成功への意思をバネにしているからだ、とか。言い換えるならば、一流がある基本的なセンスに優れているのに対し、二流は汗水たらして働くこと以上の資質を元来持ち合わせていない、というのだった。

 そのような資質なるものを変えることが無理な注文であるとすれば、〝より優れた人間〟の育成を目指す業務訓練プログラムなど見込み薄である。しかし、我々の研究はこのような論法には根本的な誤謬があることを明らかにしてきた。一流と二流の違いに対する上記の解釈はどれ一つとして経験的事実に耐えられるものではない。IQテストから性格検査に至る様々な個人的ないし社会的尺度で見るかぎり、一流と二流との間に本質的な能力差はほとんどないからである。

 むしろ、本当の違いが生じるのは、一流が業務をこなすときの戦略的な方法なのである。技術上の優秀性や高次元の判断能力なくしてベル研の扉の中に入ることはできないが、このような認識スキルは必ずしも成功を保証するものではない。一流の作業能力を可能にするのは、イニシアチブ(率先実行)とかネットワーキング(連係プレー)のような作業戦略であり、それはまた、訓練可能なことなのだ。もし企業がそのような作業戦略を組織的に奨励することができれば、専門職一人ひとりの生産性が向上するだけでなく、その効果はチーム全体にも波及するし、企業収益の改善にもつながるのである。

高生産性の脱神話化

 まず、訓練プログラム作成の第1ハードル――ある特殊業務に対する生産性なるものを定義づけること――について考察してみよう。例えば、ソフトウエア会社の中には、優れたプログラマーほどより多くの行数を作成するという仮定に基づいて、生産性の評価基準としてコンピュータ・コードの行数を用いているところがある。しかし、この評価基準は、同じ目的を達成するのなら4行のコンピュータ・プログラムのほうが100行のそれよりもエレガントであるという事実を無視している。また、だれもが同じ業務をしているわけではない。肩書を同じくする2人のプログラム検査者でも、単純で短いプログラムを一日で50本調べる人と複雑で長いプログラムを3週間かけて調べる人とを同じ尺度で比較できないはずだ。

 かつてピーター・ドラッカーは、知識労働者の生産性を把握するのはどうやら不可能だ、と論じた。彼が特に指摘したのは、質の高い成果を生む知的作業プロセスを解析することの難しさである。ドラッカーによれば、できるのは、せいぜい「成功の秘訣を問うこと」でしかない。この言外にあるのは、知識労働者の作業は彼らの頭の中で進行しているという現実なのだ。マネジャーは彼らの心理プロセスや戦略発想を直接のぞくことはできないし、ましてや正確に評価できるはずがない、というのである。

 そこで彼らに対し心の秘密を明かすように頼むことになるが、これもそう容易なことではない。まず第1に、作業の間自分の頭の中でどんなことが進行しているのかを明瞭に記述するのは大変なことだし、自分が生産的かどうかさえ決められないからだ(囲み「専門職による生産性の定義」を参照)。第2に、方法論がピンボケしていると、生産性向上と称してとんでもない処方箋を信じ込むことになりかねないからだ。

 例えば、1980年代初期には最高達成能力(ピーク・パフォーマンス)について空騒ぎがあった。研究者たちはオリンピック・チャンピオンに勝利の秘訣をインタビューしたのである。するとお決まりの答えが返ってきた。夜明けに起床、ストレッチ体操、フィーティズ(Wheaties=小麦フレーク食)の食事、1時間ほど成功パターンをイメージ・トレーニング、練習3時間。どのチャンピオンも同じ訓練法を語るので、スポーツ、セールス、マネジメントといった分野で最高達成者になるためのハウツー本が大量に出回ったものだ。