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1980年代の半ば、日本に新しいタイプの競争企業が出現した。それまで経済スケール、低コストおよび高品質をバネに競争優位を追求してきた企業が、時間ベース競争を始めたのである。
時間は新たに強力な測定基準を提案した。品質、多様性、そして生産性パフォーマンスを測ることができる。また時間は強力な変化の主体でもある。時間というレンズを通して見ることで、経営者も働く者も、自分たちの組織の主たる筋道、重要プロセス、横の連係、つまり企業のビジネスや競争のやり方を決める要素を見いだすことができたのである。
時間ベース競争の初期の例を挙げれば、ホンダはヤマハからのオートバイ部門への挑戦に対して新製品の波状攻撃をかけ、ヤマハ側は敗北を認め、マーケット制覇の野望を捨てざるを得なくなった。日本でも西側企業の間でも、時間ベース競争戦略がたちまち広がっていった。
HBR誌のインタビューでも、著名なCEOやトップ・エグゼクティブたちは時間競争戦略を視野に入れている。ゼネラル・エレクトリックの名だたるCEO、ジャック・ウェルチは、GEではスピード、シンプリシティ(簡素)、セルフ・コンフィデンス(自信)の3指針を採用するつもりだと述べた。ABBのグローバル志向のCEO、パーシー・バーネビクは、早い決断をするほうが、たとえそれが裏目に出ても、石橋を叩くことで遅れをこうむるよりも有利であると断言した。
ビジネス界全般を見ても、時間は強力な新パフォーマンス基準となり、サイクルタイム、市場化タイム、新製品開発タイム、注文/換金間タイム、顧客対応実質タイムといった様々な指標で表現された。時間こそ戦略展開の新手法を決するものであった。
そして時間ベース競争戦略を日本ほど素早く、または徹底して採用したところはない。ところが1990年代に入ると、不吉なリポートが日本から届くようになった。すなわち時間ベース競争の陰の部分を描いたリポートである。こうしたリポートの見出しによれば、日本企業は時間競争から撤退しつつあった。これは時間がついに企業をとらえて放さない戦略的(ハツカネズミの)「踏み車」と化した結果、企業はますますスピードアップを強いられ、しかし競争上の位置は不変という事態になっていた。
企業としては、加速するいっぽうのペースで多種多様の製品を生み出すため、ますます人的・金融資本を注ぎ込まざるを得ないわけであるが、それでいて、競争優位、マージン・アップもしくは収益の改善が期待できるわけではなかった。経営者も働く者も、この過酷なペースに疲れ果てた。ライバルたちはお互い不安な視線を交わし合い、無意味で自滅的と思われる競争からだれが最初に脱落するかと探り合っていた。
下方転換のこうした徴候はたちまち日本に蔓延した。
■次々と新モデルをマーケットに乗せるパワーで「ビッグ・スリー」を追い詰めた日本の自動車メーカーは、その新車導入サイクルを4年間から5年間に延長し、車種の数も減らすことを明らかにした。新車の導入ペースを10カ月にまで短縮していたトヨタは、カローラ・モデルを11種から6種に減らしていくと発表した。マツダは929モデル車のバリエーションを76カ所カット。日産は向こう5年間でエンジンの数を40%減らす予定であると告げた。
■極めて競争の激しい家電マーケット市場で、ソニーは27インチおよび31インチテレビなど、数種のモデルサイズの生産を中止。三菱は30種類あるファックス・マシーンの機種を減らすつもりである。通産省の調査によれば、縮小第1段階において、日本の家電各社は25種のビデオレコーダー、19種のテレビの生産を中止する予定でいる。



