マルクスが1850年代初めに『資本論』の執筆を始めたころは、マネジメントという事象はまだ知られていなかった。マネジャー(経営管理者)たちが運営する企業なるものも同じであった。当時の最大の製造会社はマルクスの友人で協力者フリードリッヒ・エンゲルスの所有する英国マンチェスターの綿工場であったが、従業員は300人にも満たなかった。しかも、エンゲルスの工場はその当時、最も儲けのよい事業所だったが、いわゆる"マネジャー"なる者はいなかった。いるのは第一線監督者、つまり職長たちだけで、彼ら自身も労働者であり、それぞれが一握りほどの"プロレタリア"の仲間に規律を強制していたのであった。

 人類の歴史においてマネジメントほど急速に現れ、しかもすばやく大きな影響力を持つに至った制度(機関)は他にはめったに見当たらない。150年経つか経たないかのうちに、マネジメントは世界中の先進国の社会的経済的構造【ほねぐみ】を変えてしまった。それは全世界的なグローバル経済を創造し、対等な立場でその経済に参加しようとする諸国のために新しい規則を設定したのである。しかもマネジメントは自らも変貌していったのだ。

 なるほど、マネジメントの基本的な課業【タスク】は変わらない。つまり、従業員に共通の目標、共通の価値観、正しい組織構造を与え、さらに、業績達成と変化対応に必要とされる継続的訓練や育成などを行って、共同して業績遂行にあたれるようにすることは以前のままである。だが、この課業の意義そのものは一変してしまった。その理由は、マネジメントの遂行行動が労働力構成を、それまでの主として非熟練労働者から高度に教育された知識労働者の組織化へと変わったというだけではない。

(しかしながら)マネジメントが持っている強大な影響力を自覚しているエグゼクティブは少ない。事実、モリエールの『ブルジョア貴族』の登場人物M. ジュールデンのように自分がくだらぬ議論ばかりを口にしていることを知らぬ人が多い。マネジメントを実践していること、あるいは誤って実践していることをほとんど理解していない。その結果、彼らは自らに課せられるおびただしいチャレンジに対して用意ができていないままである。マネジャーが当面する真に重要な問題は、(実は)テクノロジーや政治からくるものではないからである。それらはマネジメントや企業の外部に発生するものではない。マネジメント自体が成したことそのことが問題を発生させているのである。

マネジメントが社会を変えた

 80年ほどの昔、第一次世界大戦の初め頃、ようやく、わずかばかりの人がマネジメントの存在に気づき始めたころ、先進諸国のほとんどの人(たぶん5人の中の4人くらい)は、その生活の糧を3つの職業によって稼いでいた。(まず)いたのが家事使用人だが、イギリスではこれが最大で単独の職業(全労働者のまるまる3分の1)であり、またどの国においても、そしてアメリカですら、それは非常に大きなグループだった。(次に)農民がいた。――普通は家族ぐるみの農業従事者で、イギリスとベルギーを除くどの国においても労働人口の半分以上を占めていた。最後に製造業におけるブルーカラー労働者がいた。これは最も成長の早い職業で、1925年までに米国労働力のほぼ40%を占めていたと思われるものである。

 今日では、家事使用人はほとんど姿を消してしまった。農業生産高は80年前の4倍から5倍ほどに増加したが、専従の農業従事者は、共産圏を除く先進諸国において、労働人口の3%から5%を占めているにすぎない。製造業におけるブルーカラーの雇用者数も急速に低下を続け、農業と同じ道をたどっている。米国の場合、製造に従事する肉体労働者は、現時点では全労働力のわずか18%を占めるにすぎない。今世紀末までに、米国その他において10%程度になりそうではある――(一方)製造業の生産高は着実に上昇し、少なくとも50%は上昇するものと見込まれている。全労働力の3分の1以上を占める最大の単独グループは、米国国勢調査局が"経営管理職および専門職"と呼ぶ労働者から成っている。そして全成年人口の中の、かつてないほど大きな割合――例えばアメリカではほぼ3分の2――を占める人々はすべての先進的非共産国において、今では給料をもらう形で雇用されている。

 マネジメントが、このような空前絶後ともいうべき変質の主要な要因になってきている。というのは、人類の歴史で初めて生産的な仕事に多人数の知的熟練者が雇用されるようになったが、この理由はマネジメントがあってこそ初めて説明できるからである。それ以前の社会ではこのようなことはできなかった。事実、それ以前の社会においては一握りのそのような要員さえ保有しえなかった。ごく最近になるまで、いろいろなスキルや異なる知識の人々を一緒にとりまとめて、共通の目標を達成させる方法をだれも知らなかったからである。18世紀の中国は同時代の西欧知識層の羨望の的だった。それは中国では知識人のために、全ヨーロッパよりも多くの職務――年間2万人以上――を供給したからである。ところが、今日では、おおよそ(当時の中国と)比較できるくらいの人口のいるアメリカでは、年間100万人近くの大学卒業者が出て、その大部分が給料のよい仕事を見つけるのにそれほどの困難を感じることはないのである。それらの雇用を可能にしたのが、このマネジメントなのである。

 知識、特に最先端の知識は、高度に専門化されているのが常である。知識はそれ自体では何も生産しない。しかし現代の大企業は、60もの異なった知識分野にわたる1万名もの高度な知識の所有者を雇用し、有効活用することができる。あらゆる種類のエンジニア、デザイナー、マーケティング専門家、エコノミスト、統計学者、心理学者、プランナー、会計士、人的資源関係者などあらゆる人びとが共同企業体で協働しているが、事業体としてしっかりとマネジメントされている企業でなければ、どの専門家も有効に働くことはできないであろう。

 どちらが先かという問題、つまり、過去100年間における教育の爆発的進展が先か、それともその知識を生産に役立てることができたマネジメントが先か、という問題には(まだ)議論の余地がある。近代的マネジメントと近代的企業は、先進社会が築いた知識の基盤がなければ存在できなかったことは明らかである。だが同様に、こういった知識や知識のある人々すべてを有効に役立てているのは、マネジメントであり、マネジメントだけである。マネジメントの出現により、(いわば)社会的装飾品や贅沢品だった知識を、今日では、経済の真の資本として認知されうるものに変えることができたのである。 そして知識のほうも、煉瓦やモルタルといったものに代わって資本投資の中心となった。日本は年間のGNPの8%という記録的な金を工場や設備に投資している。ところが、日本は少なくともその2倍を教育に投資しており、そのうち3分の2は青少年のための学校に、残りは成人の訓練と教育に(主としてそうした成人を雇用している諸団体に)投入しているのである。またアメリカは(日本に比較して)はるかに大きなGNPのさらに大きな部分(ほぼ20%)を教育と訓練に投入している。企業とマネジメントが中心となる現代社会においては、知識は第一次的な資源であり、社会の真の資産なのである。

マネジメントの歴史

 今日見られるような大企業が形を整え始めていた1870年頃の昔において、こうした展開を予知できたビジネスリーダーはそれほど多くはいなかった。それは、洞察力が足らなかったというよりは、先例がなかったからであった。当時、身近に見られる唯一の恒久的大組織は軍隊だった。したがって、さして驚くほどのことではないが、軍隊の指揮命令・統制構造が、大陸横断鉄道や製鉄所や近代的な銀行や百貨店などを築き上げようとしていた人々にとって手本となった。