ニコラス G. ハイエックはヨーロッパで希有な人物――すなわち純粋のビジネス界の名士である。生まれ故郷のスイスで、そして最近はヨーロッパ大陸のますます多くの国で、新聞や雑誌、テレビのトークショーに登場して人々の心を引き付けている。ハイエック(64歳)は自ら名声を勝ち取った。彼はスイス・マイクロエレクトロニクス・ウォッチメイキング社(SMH)の同僚とともに、世界の産業界で最もめざましいカムバックを果たさせた――すなわち、スイス時計産業を復活させたのである。

 それは驚異的な規模の復活である。SMHが誕生したのは1983年、ハイエックがスイスの銀行に国内の2大時計メーカー(いずれも破産状態に陥っていた)を合併させるよう勧告したあげくのことだった。そしてこの年、新たに誕生したSMHは15億スイスフラン(11億ドル)の収入を上げ、損失額は1億7300万スイスフラン(1億2400万ドル)であった。昨年の同社の収入は30億スイスフラン(21億ドル)で、4億スイスフラン(2億8600万ドル)の利益を計上した。

 ニコラス・ハイエックはSMHと最初から関わりを持ってきた。1980年代の初め、スイスの銀行筋は破綻をきたしていた時計産業問題のチーフ・アドバイザーとしてハイエックに白羽の矢を立てた。彼はハイエック・エンジニアリング社を創設し、同社のCEOとしてすでに有名になっていた。同社はチューリッヒを本拠地とするコンサルティング会社で、いうならばアーサー D. リトルとマッキンゼー社との中間的な会社であった。1985年、銀行筋はハイエックにSMHの支配的な株式取得を行なうよう提案した。彼は投資家グループを集めて、単一で最大の持ち株を保有し、CEOに就任した。

 当初の投資家が支払った額は1株あたり100スイスフランであった。今日SMHの株価は1株1500スイスフランで取引されており、その市場価額は49億スイスフラン(35億ドル)を超えている。ハイエック個人の保有額はおよそ10億スイスフラン(7億ドル)相当である。

 しかしSMHの物語は、単にカムバックを果たしたことだけにとどまらない。ハイエックの経営哲学と戦略的思考のケース・スタディーなのである。そのいずれもが、新しい経済において企業がどのように競争していくべきかという点についての一般的な知恵と相いれないものである。

 従来の考え方によれば、グローバル企業は「無国籍」となるべきだとされている。どこであれ、低コスト生産の可能な場所を見つけて、多くの国々の市場で操業の場を築くべきだというのである。だがSMHは本国スイスをベースとした操業にこだわっている。そのテクノロジーも人間も生産も大半がスイスとフランスの国境に沿ったジュラ山脈周辺の町や村――すなわちスイス時計製造の伝統的な中心地に根を下ろして踏み止まっている。

 また各企業は狭い分野の市場に焦点を当てて、適所分野でプレーをすべきだというアドバイスを耳にたこができるほど聞かされている。しかしSMHはあらゆる部門に顔を見せている。同社の人を食ったような遊び感覚のスウォッチ時計は(基本モデルの販売価格は40ドル)1つの大衆文化現象となっている。昨年、SMHは推定2700万個のスウォッチを販売した。同社の高級品の旗頭となるブランドはオメガであるが、オメガの時計の小売価格は700ドルから2万ドルである。競争の激しい中間価格帯の時計の販売価格は75ドルから350ドルである。この価格帯こそSMHがセイコーとシチズンという日本の2大メーカーと直接戦いを交えている部門である。SMHは最近になって、小売価格20万ドル以上という超高級機械時計のメーカー、ブランパン社(Blancpain)を買収した。さらにSMHは時計メーカーとしての存在をより発展させて、遠距離通信などの新しい製品分野にも進出している。

 各企業のマネジャーの中では、会社を分断して、成功に欠かせない中心的な活動だけを維持していくべきだと信じる者が増えてきている。だがSMHは縦の統合化による要塞を築いた企業である。自社で販売するすべての時計を自社で組み立て、自社で組み立てる時計の部品のほとんどを自社工場で製造しているのである。