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前サンフランシスコ・フォーティナイナーズ(以下49ers)のコーチで、現在スタンフォード大学アメリカンフットボール・チームのコーチを務めるビル・ウォルシュは、ニュート・ロックニー、ポール・ブラウン、ヴィンス・ロンバルディといった著名人とともに、フットボール史に残る、最も重要な人物の1人と認められている。ウォルシュは、他の人たちのコーチング伝説と同様に常勝チームをつくりあげた。特筆すべきなのは、コーチとして49ersを8年間に3回もスーパーボウルで優勝させたことで、これにより49ersは新聞紙上でも「80年代最強のチーム」として高く評価されることになった。さらにウォルシュは、49ersでの10年のプレーヤーとしてのキャリアを通して、また、高校、大学、プロでのコーチ経験のなかで、ユニークで、よく考えられたプレーのスタイルを発展させただけでなく、チーム・マネジメントのシステム化に成功した。このシステム化こそ、その後、近代的なゲームにおいて最も重要で、尊敬に値するものと認められることになったものである。
ウォルシュは、ロックンのように心理学にたけていたわけでもなく、ロンバルディのように体力と気力でぶつかる指導者でもなかった。ウォルシュは、選手とコーチ陣の能力を最大限に発揮させるというビジネスライクな方法で勝者を輩出したのである。彼の対戦相手を冷静に分析する能力、特に相手チームの弱いところに自分のチームの強いところをぶつける能力により、そのゲーム運びは「追い風に乗って勝つウォルシュ流フットボール」という折り紙をつけられることになった。
現役を引退して数年間、ウォルシュはコーチとしての地位を与えられず、アシスタントコーチとして処遇されていた。というのは、長い間、コーチは筋骨隆々のたくましい男でなければやっていけないと考えられていたため、彼はあまりにインテリすぎてコーチというトップ・ポジションには向いていないと思われていたからである。しかし、全米プロを代表するクオーターバックであるダン・フォーツ、ケニー・アンダーソン、グレック・クックらは、攻撃時のウォルシュのスキルは超一流であると絶賛していた。
1977年、ウォルシュは47歳でスタンフォード大学のアメリカンフットボール・チームのヘッドコーチに就任した。その年、ウォルシュの指導のもと、チーム力としては中程度しかなかったスタンフォード・チームがナショナル・ランキング入りを果たし、ブルーボーンネットボウルでも勝利を収めた。1979年、ウォルシュは49ersのヘッドコーチ兼ゼネラルマネジャーに就任した。そのとき49ersチームは、1970年代後半のマネジメントの失敗やメンバー獲得の意思決定のまずさにより事実上崩壊状態で、最悪のチーム状態だった。
ウォルシュはすぐに49ersの長期戦略を練り、メンバー獲得プランの作成にとりかかった。さらに彼は他のコーチたちがゲームの細かいところについてどのように考えているかにも焦点をあてた。例えば、分刻みでのメンバーの動きの分析、個人の戦術や集団の戦術をそれぞれのパーツに分解しての分析、選手とコーチたちの双方が責任をどのようにとらえ、目標をどこに置いているか等々のチェックにかかったのである。
この年、ウォルシュはコーチとして最高の栄誉を与えられた。かつてウォルシュのアシスタントコーチだったメンバーは、いま、タンパベイ、ミネソタ、グリーンベイ、ニューヨーク(ジェッツ)、そしてサンフランシスコでNFLのヘッドコーチとして活躍している。
1989年1月にコーチとして3度目のスーパーボウル優勝を果たした後、ウォルシュは引退し、NBCスポーツ番組のフットボール解説者になった。その後、1992年に彼は再びスタンフォードのヘッドコーチに就任した。プロのコーチが大学のコーチに就任するのは異例のことだけに、彼の転身はフットボール界に大きなショックを与えた。
このインタビューはリチャード・ラパポートによってなされたものである。彼はサンフランシスコを中心に活躍するライターであり、サンフランシスコ・フォーカス、フォーブズ/ASAPの客員論説委員である。また、彼の政治評論はナイト・リダーほか、全米規模の新聞にしばしば掲載されている。
HBR(以下略) マネジメントとコーチングには共通点はありますか。



