私が入行した1990年は、コンチネンタル・バンクが、財務上の危機から抜け出ようという頃だった。1970年代末から1980年代初期にかけて、コンチネンタル・バンクは、ペン・スクエア社というエネルギー関係へ大規模な投資を行っていた会社に関わっていた。しかし、エネルギー価格が急落し、ペン・スクエア社のバブルが破裂した結果、コンチネンタル・バンクは、10億ドルを上回る不良債権を抱えることとなった。

 この惨事によって、1984年、コンチネンタル・バンクは、法人株主に株を投げ売られ、資金の流動性の危機に見舞われる。遂には、連邦預金保険公社(FDIC)の緊急援助を要請する羽目になった。コンチネンタル・バンクの取締役たちは、私が経営陣に加わるまでに、多くの困難な決断を強いられてきた。

 何千という従業員が解雇された。また、基本業務もリテール・バンキングからすべての業務をカバーする銀行へと変わっていた。

 しかし、このような変化も、コンチネンタル・バンクが生き残り続けることを約束するには不確かなものであった。まだ、やらねばならぬことがあったのである。

IT部門の外部委託に踏み切る

 出発点は明らかだった。すなわち、新しいコスト削減の方法を探すことである。これは、コンチネンタル・バンクが、従来よりも限られた資源で、顧客と良好な関係を築き、維持する力を発揮させるのに不可欠であった。我々の結論は、調査の末、アウトソーシング(Outsourcing/外部委託)に行き着いた。我々が行ったアウトソーシングは、多くの銀行内部門の仕事を委託会社に任せるもので、現在、各方面から賞賛を受けている。

 例えば、社員食堂の運営や、法的な業務を含む周辺業務をアウトソーシングの対象とした。さらに我々は、IT(Information Technology/EDPやコンピュータ・システムの管理、運用、開発を担う部門で、日本の銀行の場合、システム部門を指す)部門のアウトソーシングを決定し、大なり小なり、銀行界に衝撃を与えた。なぜなら、金融の中心地にある銀行として初めて、ほとんどすべてのIT関係の業務をアウトソーシングしたことは革命に近いことだったからである。

 コンチネンタル・バンクは、1991年12月、情報技術サービスをIBMの関係会社から購入した。何百万ドルも支払い、なお期間10年の契約書にサインをしたとき、それを聞いた人々は「信じられない」「一体何を考えているんだ」と驚きを隠せなかった。銀行アナリストや競争相手は、ファースト・フィデリティ・バンクが1990年に行ったように、EDPオペレーション部門の一部を外部化するのであれば、理解できるとも語った。

 なぜコンチネンタル・バンクは、ほとんど完全にIT部門のコントロールを放棄することを決めたのだろうか。人々が推測する以上に財務内容が悪かったため、経営上、コスト削減をする必要があったからなのか。それとも、コンチネンタル・バンク自体が、より魅力的な買収のターゲットになることを望んでいたからなのか。

 本当の答えはそのどちらでもない。コンチネンタル・バンクは、ITのコントロールを諦めたわけではなかった。また、身売りのためでもなければ、火急に現金を必要とする状況だったわけでもなかった。つまり、シニア・マネジャーたちが、IT部門をアウトソーシングするほうが、銀行業務の基盤である、顧客と良好な関係をつくる上で最も役立つ方法が得られることに確信を持ったからである。

 コンチネンタル・バンクが持っている哲学と顧客へのサービスに占める優位性から考えれば、私にとっても、アウトソーシングという決定は当然の成り行きであった。とはいうものの、行員に説得して回ることはさらに困難だった。職を失うことを恐れる者は多く、不安視する者もいた。しかし、私が最初から信じていたように、それは正しい決定であった。アウトソーシングに踏み切った1年目の経験は、私の直感が正しかったことを裏付けている。