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ナイキはブランドづくりのチャンピオンである。――"Bo Knows"(ボー・ジャクソンは知っている)、"Just Do It"(さあ、チャレンジだ)、"There Is No Finish Line"(何ごとも、終わりなし)。――これらの宣伝コピーは、単なる宣伝の域を超えて大衆的な表現となった。同社のアスレチック・フットウェアと衣類は、アメリカーナ(アメリカの風物)の一部になっている。そのブランド・ネームはIBMやコカ・コーラと並び、世界的に知られている。
年間売上げ10億ドルを達成し、百戦練磨のマーケターであるナイキが、熟年期を迎えた現在、あらためてマーケティングの重要性を理解するようになったことは、ひとつの驚きである。ナイキは10年以上にわたって急成長を遂げた一方で、エアロビクス市場での判断ミス、自社のマネジメント能力に釣り合わない成長、惨憺たる結果に終わったカジュアル・シューズ分野への参入などの失策を演じた。こうした一連の問題から、同社は厳しい自己検証の期間をくぐり抜けねばならなかった。「これまで卓越性を誇ってきたデザインと製造力から、消費者とブランドへもその焦点を拡大することこそ前進の道であることを認識するに至った」とナイキ創業者である会長兼CEOのフィル・ナイトは語る。
ナイキのルーツは、ブルー・リボン・スポーツと呼ばれた会社にさかのぼる。この会社は、オレゴン大学の元ランナーのナイトと、彼の陸上競技コーチ、ビル・バウアーマンが1962年に創立したものである。ブルー・リボン・スポーツは、日本のあるメーカーのランニング・シューズを販売することからスタートしたが、その後、シューズのデザインを自社で手掛け、その生産をアジアで行うという方向にシフトした。また機能を重視する製品へのイノベーションを果たし、低コスト生産にも磨きをかけた。その結果、同社のシューズは、陸上選手が競って求めるところとなり、価格面でも手ごろなものとなった。ナイトとバウアーマンが陸上競技の世界にコネクションを持っていたため、選手たちは同社のシューズを採用してくれた。その後、ジョギングが国民的なレクリエーションとして登場した。



