1990年代に製造会社は、業務運営のグローバルな統合という課題に直面する。1980年代に個別の工場の合理化を余儀なくされたように、今度は世界中に展開している生産設備の包括的合理化が急務となっている。もはや経営規模と版図のみに依存できなくなった多国籍企業にも、まだ広範囲に散在する工場を緊密に連係する分散生産システムに統合して、新しい生産規模の利点を生かす機会をとらえる可能性が残っている。

 長い間、多くの多国籍企業の多様な業務運営は、功を奏してきた。例えばある企業は、顧客に近接した場所で製品を生産し、各地の工場の業務運営をその地域のニーズに対応させた。また他の企業は、単一拠点で生産を行い、すべての自社市場に低価格の標準製品を提供した。しかし、現在のように、他の多国籍企業や特定分野の中堅企業との激烈な競合を強いられている状況では、大手製造会社も過去に有効だった経営方式を超えなければならない。筆者らがゼロックス、ディジタル・イクイップメント、コールター・エレクトロニクスなどの企業を調査した結果が示しているように、業務運営をグローバルに統合するのは、経営陣のみならず組織全体の長期にわたる努力と、すべての部署の革新が必要な作業だ。

 もちろん、そうした大規模な改革に安易な対応策があるはずがない。すべての多国籍企業は、自社特有の問題に取り組み、それぞれが新機軸を打ち出すべきだ。しかし、企業によって問題の焦点は違うが、多くの多国籍企業が、似たような対策を講じている。ある企業は例えば、国際設計チームとか商品管理チームといった、さまざまな職能別の国際チームを編成した。また他の企業は、中核商品の設計あるいは注文引き受けのような最重要業務を1度で完了することを重点目標としている。

 各企業の改革への取り組み方法は多様だが、1つ共通点がある。つまり、変動の激しい世界市場で生き残るには、多国籍企業は業務運営を統合せざるを得ない、という事実だ。もはや生産集中化に逆戻りすることはできない。そんなことをすれば、重要市場を失うだけだ。さればといって、各地に散在する、相互に連係を欠く生産施設の、個別運営方式を継続するわけにもいかない。そこで高コスト最終市場と低コスト製造拠点に散在する工場を緊密に統合すれば、多国籍企業は、新しい規模の経済を達成し、過剰な生産業務を簡素化して原価を下げることができる。だが業務運営をグローバルに統合するには、一枚岩のような中枢経営陣の意向と統合の必要性との間の緊張関係を調整しなければならない。また、全社的ビジョンを明確に浸透させて、各職能と各拠点の具体的な変革を集中的に実施する必要もある。

第1ステップ グローバル化するゼロックス

 何の支障も苦情もなく、自社の海外拠点を完璧に統合し、他社のモデルとなる統合法を提示し得る多国籍製造企業は1社もない。しかし、複雑な国際業務体制を持つゼロックスは、事前に計画を公表し、適切な時期に、グローバルな統合という総合戦略を実施している。

 1970年代末のゼロックスは、典型的な多国籍企業だった。親会社であるゼロックスは、アメリカで国内市場向けの製品を設計・生産し、ゼロックスが51%所有するランク・ゼロックスは、ヨーロッパ市場向けの製品開発を行い、ランク・ゼロックスと富士写真フイルムの対等出資会社である富士ゼロックスは日本市場で売り出す製品を開発し、その他多くのゼロックス傘下の企業が、多様な周辺装置や付属組立品を世界中で売っていた。

 ゼロックス系列の各企業はそれぞれ自社の供給業者、組立工場、流通経路を管理していた。メキシコ、アメリカ、カナダ、アジア、ヨーロッパ、ブラジルの各地に展開する各工場は、その現業会社の市場動向予測に基づく個別の計画に従って、生産を行った。世界各地の工場経営者たちは、自社工場がゼロックスの総合生産計画のどこに位置するのかという点には全く顧慮を払わず、相互に連絡を取ろうともしなかった。ゼロックスは世界の複写機市場で、ほとんど独占的なシェアを誇っていたので、だれひとりとして、本社の経営陣でさえも、その必要を認めていなかったのである。

 しかし1981年になって、ゼロックスの上級管理者は、コストと過剰在庫の削減、配送の迅速化をねらって、機構の再検討を始めた。当時、グローバルな業務運営の統合は、まだ明確な戦略とはなっておらず、管理者の側にもさして緊迫感がなかった。だが、個別に運営されている各地域の関連会社を、相互に連動する1つの企業体に統合した場合に得られる利点に関する情報は集められていた。

 やがて数年経つと、市場の競合状況が変わってきた。キヤノンとかリコーといった競合企業が、低コストの複写機を引っ提げて、欧米市場に参入してきたのだ。1983年、ゼロックスは世界複写機市場の収益トップ10社を独占し、市場総収益の57%を確保する実績を上げた。ところがわずか2年後には、それが52%に落ち込んでしまった。さらに追い討ちをかけるように、1985年になるとキヤノンが、複写機生産の世界化を発表する。それまでキヤノンは、主に日本で生産を行い、国際流通網を通じて販売する、典型的な集権的輸出主導企業だった。しかし、欧米市場に照準を定めた新しい設計・製造施設を各地に配置して、キヤノンは分権的多国籍企業へと変貌を遂げた。

 競争圧力が高まるにつれて、ゼロックスはグローバルな事業統合という明確な戦略を実施して、態勢を取り戻した。図1の「ゼロックス、新しい生産規模の利益を達成」と題されたグラフは、同社の成長率を反映する営業利益と収益の推移を示している。1982年から1991年にかけての重大な時期にゼロックスは、多くの職能を迅速に改革したが、その詳細を年度別に記述しよう。