1990年代には、乗っ取りに代わって政治的活動が、コーポレート・ガヴァナンスという難題に取り組むための手段として特徴的となる。加えて理念を重視する市場が、1980年代に金融市場を支配した狂乱的行動に取り代わることだろう。これまでの取引主導型市場において、コーポレート・レイダー(企業乗っ取り屋)は、ターゲット企業を支配するためにジャンク・ボンドやその他の金融的手段を利用した。理念を重視する新しい市場では、積極的な株主がターゲット企業に対して特定の経営政策を要求する際、「討論」がジャンク・ボンド等の負債に代わることとなり、さらにその討論は株主の考えを経営陣に伝えるための新たなメカニズムを創造するだろう。

 事実、すでに投資家たちは、経営政策を批判するために影の経営委員会や独自の取締役候補者名簿、そして外部の専門家を利用している。これらのメカニズムによって、投資家たちは経営陣に対して、全般的とはいえないが、限定的な圧力を加えることができる。1980年代の敵対的な取引と違って、この新しい政治的活動のメカニズムは、資金調達力には依存しない。それはまた、テンダー・オファー(株式公開買い付け)の場合でも、迅速な支配を目的とした、高コストのノルかソルかの先制攻撃にも依存しない。実際、このように古いアプローチが、もはや使えなくなったがゆえに、コーポレート・コントロール(企業の管理と支配)のための方法として新しく政治的活動が台頭してきたのである。

 金融ではなく、政治的活動に基づくこの新しい形態のガヴァナンスは、1980年代の乗っ取りよりも有効で、かつ低コストの監視手段を提供するだろう。忌憚なく企業の長所と短所をやりとりする公開討論によって監視することには問題がある。それは変革をテーマとした真摯な議論は、常に激しいものであり、辛辣な意見も多いからである。しかし、このような討論は、総選挙の際に展開されるものと変わりなく、大きな組織はどのように運営されるべきかというアメリカ的な関心事に沿ったものである。活発な討論は、1980年代のせわしない対処よりも健全であり、納得を与える。

USX伝説

 USXの支配をめぐる、長く熱い戦いが、1986年から91年にわたり繰り広げられた。この戦いは、コーポレート・コントロールをめぐる世界で起こった、すばらしい変化の好例である。これは、敵対的な乗っ取りとして始まったが、最後は話し合いによる解決がなされ、その際、多くの有権者が、USXのリストラクチャリングに参加することとなったのである。

 1980年代の初め、かつて不屈を誇ったUSスチールは、いっそう競争の激しくなった世界市場の中で倒壊しつつあった。市場占有率の減少が不可避となり、USスチールはマラソン・オイルを買収した。それはいままでで最高の借入金による買収取引であった。4年後にも、テキサス・オイル・アンド・ガスを買収して、エネルギー分野への拡張を続け、また、この新しいハイブリッドの象徴として社名をUSXに変更した。1980年代の終わりには、全収入120億ドルの70%以上がエネルギー部門から稼ぎ出されるようになり、伝統的な牙城である鉄鋼部門から得られるのは30%に満たなくなっていた。USXが古い事業から撤退し、経営陣がより利益が上がると期待したエネルギー分野に向かっているのは明らかだった。

 しかしながら市場は、経営陣がエネルギー分野に見出した新たな潜在的収益を、行き詰まりの産物と見なした。多角化への試みは、市場占有率の急速な低下を引き起こし、USXの株価は17%近くも下落した。テキサス・オイル・アンド・ガスの買収の後、多くの大機関投資家がUSX株を売却するとともに、USXが方針を見失って、株価を暴落させつつあると、公然と不満を訴えた。さらにアメリカ鉄鋼労働者組合は、買収資金の調達によって増えた負債が、鉄鋼事業の資金を枯渇させ、世界市場での競争を不可能にすると懸念を表した。

 1986年の終わりごろ、著名な法人投資家カール・アイカーンは、論議を呼ぶUSXについての買収と株価の悪化に目を付けた。1986年10月、アイカーンはUSX株の11.4%を保有していることを公表し、USXに対して1株31ドルで株を購入したいと申し出た。アイカーンの申し出によって普通、ほとんどの企業は、重大なリストラクチャリングか、あるいは全面売り、または必死でホワイト・ナイト(1)を探すといった行動に出るものであるが、USXは乗っ取り撃退作戦を展開し、悠々と「ノー」の一点張りで防御することができた。株を売ることをひたすらに拒絶することで、アイカーンは妨害された。この膠着した状態は3年も続いた。

 しかし1990年の春、邪魔され続けてきたアイカーンが反撃に転じ、斬新なプロクシー・キャンペーン(委任状争奪戦)に着手した。とは言うものの、彼は新しい取締役の推薦を一切せず、経営陣を脅かすことはまるでなかった。その代わりに拘束力はないが、USXの経営陣に対して、同社の鉄鋼部門を株主に譲渡する要求を提示した。その結果、人事や機密事項、あるいは買収計画に対してではなく、USXの多角化構造という問題に唯一焦点が当てられた、激しい委任状争奪戦となったのである。どちらも自分の立場に有利な議論をこと細かに示し、相手の分析を攻撃し合った。しかし、アイカーンとUSXの経営陣は、初めのうちに、外部でのあらゆる法的活動を差し控えることに同意していたため、ほとんどの委任状争奪戦に付き物である高価で非生産的な訴訟から完全に免れることができた。

 最終的には、経営陣が57%の票を獲得してこの戦いに勝利を収めたが、アイカーンの計画案へ転向する者も数多く現れた。アナリストや投資家たちは、一様にUSXの鉄鋼事業と石油事業を結び付けておくことの意味について高い関心を払うようになった。1990年の夏、USXが分離させた子会社に鉄鋼会社の資産を委ねることを発表したとき、アイカーンの計画案のほうへ向かっているようであり、事業の構造的分割へと道を開き出したようであった。

 しかしながら、アイカーンはこの動向に十分に満足しなかった。1990年11月、彼はUSXの構造や戦略、ガヴァナンスについて4人の専門家からなるUSX株主向上委員会(Shareholders'Enhancement Committee)の設立を発表した(2)。アイカーンは、自ら委員会に資金を提供するとともに、委員会はその資金を株主とのコミュニケーションと経営分析に用いること、その他、委員会は独立していることを発表した。さらに11月から4月にかけて、委員会はUSXを分析し、その構造と戦略について提案を行う。もしUSXがその期間に企業価値を高めるリストラクチャリングに着手しない場合、委員会はUSXの15人からなる現取締役会に、4人の独立した取締役を新たに立候補させる。またアイカーンは、もし委員会のメンバーがUSXの取締役に立候補し、選出されても、彼自身は、委員会にも取締役会にもコミットメントしないとの旨を付け加えた。