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生産性革命が階級闘争を解消
世界の先進諸国のマネジャーが直面している唯一最大の挑戦はといえば、それは知識労働者とサービス労働者の生産性を向上させるということである。この挑戦は、究極的には今後数十年にわたってマネジメントをめぐる支配的な課題になり、各会社の競争力を決定するものになろう。さらに重要な点として、この挑戦はすべての工業化された国々における社会構造そのものと生活の質を決定づけるだろうということである。
過去120年間に、物を造り、移動させる際――つまり、製造、農業、鉱業、建設、輸送等を行なう際の生産性は、先進諸国の間では年間で3%から4%上昇し、全期間で見ると45倍に拡大してきている。こうした爆発的な成長率によって、これらの国々とその国民が享受してきたすべての成果が初めて得られたのである。成果とは、すなわち可処分所得と購買力の激甚な増加、教育と健康管理【ヘルスケア】を受ける機会の絶えざる拡大、かつ、余暇時間が利用できることなどで、これらはだれもが年間少なくとも3000時間以上も働いていた1914年以前においては、貴族といわゆる"有閑階級"の人々にしか知られていない事柄であった(今日では、アメリカ人が平均で年間1800時間、ドイツ人が1650時間働くのに対し、日本人ですら年間に約2000時間以下しか働いていない)。
さて、こういった成果は次第に明らかになりつつあるが、それは(最近)物を造り、移動する時の生産性が低下した(ので改めて見直されはじめた)からではない。一般に信じられているのとは逆に、こういった活動の生産性は、いまだにほとんど同じ率で向上し続けている。しかも、米国でも日本や西ドイツの場合とまったく同じぐらい上がってきているのである。事実、1980年代を通じての米国の製造業における生産性の年間約3.9%という上昇率は、日本およびドイツにおける同期間の上昇率よりも絶対値では実際に大きかった。一方、米国の農業生産性の4~5%という年間上昇率は、いかなる時点のいかなるところで記録された最大値よりもはるかに大きいのである。
(だが、こうした)生産性革命は終わった。というのは、物を造り移動させることに雇用されている人数が少なすぎて、こうした場での生産性の決め手とはならないからである。総計でも、(物の製造・移動に携わる人々は)先進国経済における労働力のわずかに5分の1を占めるにすぎない。わずか30年前には、まだ過半数に近い数字だった。いまだに製造業への集約度が高い日本ですら、その経済成長を持続するのに、製造分野での生産性の上昇には期待できなくなっている。事実、日本の労働者の大多数は、他の先進国の場合と同じように生産性の低い知識労働者とサービス労働者である。しかも、米国や日本や西ヨーロッパのように農民が雇用人口のわずか3%しか占めていない場合は、農業生産高に記録的増加がたとえあっても、国としての全体的生産性や富に対しては事実上何の足しにもならないのである。
したがって、先進諸国の主たる経済的な面での優先事項は、知識とサービスの仕事の生産性を上げることでなければならなくなる。これを初めにやる国は21世紀を経済的に支配することになろう。しかし、(とりわけ)先進国が直面する最も緊急な社会的な挑戦は、サービスの仕事の生産性を上げることであろう。このチャレンジに対処しない限り、先進的世界は社会的緊張の増加、二極化の増大、過激化の増加、そして恐らくは階級闘争にすら直面することになるだろう。
先進的経済においては、キャリアや昇進の機会はより進んだ上級での学校教育を受けた人、知識的な仕事を行なう資格のある人にますます限られてくる。しかしこのような人々は男女を問わず、いつも少数派であろう。こういう人々は、人数の点では低技能のサービス作業をするほかには何の資格も持たない人々にはとても及ばない。つまり、社会的地位という点では100年前の"プロレタリアート"に相当するような人々、爆発的に拡大する工業都市に群がり、そこの工場に流入する教育程度が低くて技能がない集団には、常に数的に圧倒されるのである。
1880年代初頭のころ、インテリで何らかの政治的信念を遵奉している人たちは、工業プロレタリアートとブルジョアジーの間の階級闘争の亡霊に悩まされていた。カール・マルクスひとりだけが、プロレタリアートの"窮乏化"が必然的に革命につながるであろうと予言したわけではない。19世紀の保守主義者の中でたぶん最も偉大な人物であるベンジャミン・ディズレーリも、等しく階級闘争の不可避性を確信していた。また、アメリカの富とヨーロッパの貴族政治の記録者ともいうべきヘンリー・ジェームスは、こうした見通しにひどくおののいていたので、そのことを彼の作品の中で最も忘れがたい小説のひとつ、『王女カサマシーマ』の中心テーマにしたほどであった。
当時の人々にとってはまことに筋が通っており、実に自明とすら思われたこれらの予言を打ち破ったのは、1881年にフレデリック・テーラーが誘発した生産性革命であった。それは彼が、ごく普通の労働者がシャベルで砂をすくう方法を研究したことに始まる。テーラー自身もある鋳鉄工場で働いており、労働者とマネジャーの間の激しい敵対意識に強烈なショックを受けた。この憎しみが遂には階級闘争に通じることになろうと心配して、彼は産業労働の能率増進に乗り出した。そして彼の努力により産業労働者が中流階級の賃金をかせげるようになり、技能や教育がないにもかかわらず中流階級の身分を取得できるようにした(生産性)革命が次々と誘発されたのである。マルクスに言わせると、1930年までには、プロレタリアート革命は既成事実となり、プロレタリアートはブルジョアジーになっているはずだった。
さて、ここで話はもうひとつの生産性革命に移る。だがしかし、今度の場合、歴史は我々に味方している。前世紀において、我々は生産性についていろいろ学び、その高め方を知った。おかげで、我々は革命が必要であることを知り、その始め方もわかったのである。
「課業は何か」
ひと口に知識労働者、サービス労働者と言っても、科学研究者や心臓外科医から女子製図工や店長、さらには土曜日の午後、ファーストフードのレストランでハンバーグをひっくり返す16歳の子供までいる。地位からいっても、仕事との関係上"マシーン・オペレーター"のような仕事をする人すなわち、皿洗い係、掃除夫、データ入力オペレーターもいる。しかしそれぞれの知識、技能、職責、社会的身分、給与はさまざまであるにもかかわらず、知識労働者とサービス労働者は次の2つの決定的に重要な点できわめてよく似ている。それは生産性を高めるのに役に立たないものと役に立つものの2つである。



