女性を管理職に登用するためにかかるコストは、男性を登用する場合よりも高いという実態がある。これは耳障りな俗説である。その理由はこれが部分的に真実であること、そしてそれにも増して一般的には討議することを避けがちな話題であるからである。ある多国籍企業の最近の調査によると、成績優秀な女性管理職が離職する比率は男性の2.5倍であるとされている。消費材の大手メーカーによると、産休をとった女性の半分は、産休後規定よりも遅れて職場復帰するか退職するかのいずれかであるとの調査報告が出されている。こうしたことと並行して女性は一般的に自分たちの成長・発展を制限するような形で安定状態に達してしまったり、キャリアを中断してしまったりする傾向が強いという事実も知られている。こうしたことを事実と認識していながらも性差別であると言われることを気にしたり、場合によっては訴訟問題に発展することもありうるため、この問題と直面することを恐れ、こうしたことを口にすることをためらいがちである。残念ながら、このように封じ込められた認識は誤解されがちな"隠喩"(「グラス・シーリング=見えざる天井」がその代表的な例)や覆い隠された敵意、低い期待度、不信感、雇用機会均等法のイヤイヤながらの順守などといった形で表面化してくる。

 キャリアの中断、安定状態、退職はいずれも高くつく。企業が人材の採用、訓練、育成に金を投資して上級管理職を生み出す確率は、女性に投資した場合のほうが男性に投資した場合よりも低いわけである。昇進するにつれ蓄積される経験が無駄になる確率も女性のほうが男性よりも高いわけである。

 上述のような調査結果は、数多い調査結果のほんの一部であると思われる。人口統計の映し出す現実を踏まえて、いずれアメリカ中の企業は女性管理職を登用する場合のコストを分析することを余儀なくされる。その結果、女性管理職が男性管理職と比べコスト的には割高であるということを発見するであろう。

 また1つ驚くべき事実がある。女性管理職を登用するコストが割高な理由は避けて通れない性差によるものだけではないという事実である。確かに女性は男性とは異なるが、その差がコストに反映されるのは女性の感じ方、態度、行動が男性のそれ、すなわち男性主導型の企業の方針・慣習とは相反するものであるという点においてなのである。

 現在進行中の調査の結果を、企業が正しく理解することが大変に重要である。こうした調査結果がただ単に女性を雇うのは割高であると結論づけるのであれば調査はまるで無駄、ひどい場合には有害ですらある。こうした調査結果からは、いかにしてその割高な分を引き下げるか、優秀な女性に対する投資をいかに無駄にしないか、また就業者の中から最も優秀な人材を確保するために企業は女性労働力にも依存せざるを得ないわけだが、そうした女性労働力を生かすためにどうしたら女性のニーズに沿うことができるようになるのかといったことを学び取ることが肝要である。

 性差がビジネスにかかわるのは2つの分野においてである。出産にかかわる場合と性差によって異なる伝統や期待を持っているという点においてである。出産の問題は、文化的な事象であるというよりもむしろ生物学的なものである。従って、これを変えることはできないが、職場に与える影響を大幅に削減し、多くの場合、母親となる社員の発達を阻害する障壁となることを避けることはできる。この問題は男女の行動様式の違いという第2の性差を取り上げることにより軽減することが可能である。今日では、この違いが出産のコストを実際より誇張し、本来であれば職場に与える影響が比較的小さいはずの問題が深刻なビジネス上の問題となってしまい、女性個人にとってもキャリアの道を踏み外してしまうといった事態を招いている。男女社員の性差によるコスト差を乗り越えるためには、女性が男性主導型の企業文化やキャリア展望に直面した場合に見受けられる各種の問題を吟味していくことが必要となってくる。これには行動スタイル、期待、類型化や先入観、性的緊張感・嫌がらせ、女性向けの指導者、横の移動、転勤、給与体系、そして優秀な人材の早期発掘などの問題が含まれる。

ビジネスの場に性差はあるか

 男女の間で変えることができない、永遠の違いは出産である。出産は単に子供を産むことだけを指すのではない。子供を産むことができる限界に近づいてきているとの認識から始まり、母親となる予感、妊娠期間を含み、出産、体力回復、精神的な適応を経て、授乳、母子の結び付きの確立、育児までをも含むものである。無論、すべての女性が母親となることを選ぶわけではなく、母親となる者が経る過程も母子の健康状態、両親の価値観、保育サービスの有無・コスト・質などによりかなりの個人差が存在する。
 過去においては、出産という生物学的な事実が男女の伝統的な役割を決定してきた。女性は出産・育児に伴う家庭を中心とした機能を果たし、男性は力を必要とする仕事を担った。しかし、時間の経過とともに家族は小規模化し、社会が子育て・教育の面ではより大きな役割を担うようになってきた。出来合いの食品や技術の発展により家事が軽減され、職場においても技術の進歩に伴い腕力に負うところが減少してきた。今日、先進国において唯一明確に性別役割分担が存在するのは「子供を産む」ということだけである。そうした中にありながらも男女はいまだに伝統的な役割に沿って行動してしまっている。

 男女ともに先天的な気質として伝統的な役割に向き、不向きがある。男性は一般的に積極的、競争心が強く、自己に頼り、リスクをとりがちであると考えられ、一方、女性は他を支援し、育て、直感的、繊細、コミュニケーションにたけるなどという分け方をされているが、男女ともにそうした性により設けられた制限を超えて行動する可能性を秘めている。実際のところ、男女の役割はすでに拡大、一体化しつつある。将来的には、男子と女子の行動様式も、若い男女の経験、期待もよりユニセックスになり、職場における行動パターンの違いも消滅していくものと思われる。しかしながら、まだ現時点においては認識と行動との間の食い違いが職場における男女の統合を必要以上に難しい、コストのかかるものとしてしまっている。

 ここでいくつか大まかな事例を挙げてみよう。無論、事例は類型的なものにすぎないが、企業における男女の統合を困難にしている先入観の例としては妥当なものであると思われる。

 男性は依然として女性を子育てを担う性としてとらえ続けている。従って、女性が家庭を持つためにキャリアを捨てることは理解できることであるし、極めて適当なことであると考えている。私は以前ファイザー社の最高経営責任者(CEO)、エドマンド・プラットに「女性でフルタイムの母親になるよりも最高財務責任者(CFO)になりたいなどと考える者はいるのかね」と真顔で聞かれた。