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アメリカの消費者運動の前途はどうなるだろうか。換言すれば、消費者運動は1970年代の実績をどのように継承するのだろうか。
マーケティングの文脈で考えて、消費者運動を製品に、大衆を潜在顧客と見立てるならば、コンシューマリズムは製品ライフサイクルの新しい重要な段階に達したところと見ることができる。消費者運動家の組織は、細分化に加えて政治的・社会的な態度を一変したため、運動の内部で支持者を求める競争が激化した。
著者たちは、現在の消費者運動を、社会にどんな変化を起こそうとしているかによって、8つの異なった種類に分類する。ついで、これら競合するグループそれぞれの将来性を検討し、その活動計画が企業にどんなかかわり合いをもつかについて論じている。
1970年代の初めから半ばにかけて、コンシューマリズムは話題の中心だった。消費者保護立法と規制を達成しようと人びとは努力し、実際に活動家のあるものは規制者として行政に参画しさえした。ラルフ・ネーダーとその支持者たちは、大衆の目からうろこをはがして見通しをよくし、政治的・社会的な立場から消費者擁護の見解を主張した他の人々は、大衆の強い支持を得た。識者はコンシューマリズムが今後も存続するばかりでなく、引き続きマーケティングにおいて重要な役割を果たしていくだろうと結論していた(1)。
だが現在のところ、大きな論争問題としてコンシューマリズムは、鳴りをひそめたように思われる。運動はこの10年間の最後に至って、いくつかの挫折を味わうことになった。例えば、消費者保護庁設置法案は成立しなかった。今では、特に1980年選挙と国民の政治的保守化傾向の結果もあって、コンシューマリズムが間もなく姿を消す問題だと見るものさえある。
われわれは、この運動の将来をそんなふうに評価することには反対だ。それほど印象的ではないにせよ、コンシューマリズムが今後も企業、ことにマーケティングに大きなインパクトを与え続けると信ずるからである。
この10年間にコンシューマリズムの上に生じたできごとは、製品によく起こる問題と似たようなものだ。つまり、コンシューマリズムはライフサイクルの過程を経てきたのである。今やコンシューマリズムは製品ライフサイクル上の成熟段階に達していて、朝食のセリアルや合成洗剤と同じような、かなり激しい市場細分化を体験した(議論を先へ進める前に、われわれが使っているライフサイクルという用語が、社会学および政治科学の文献に見られる、最近の社会運動発展についての考え方と矛盾しないことをここで注意しておきたい(2))。
現在、多くの組織・団体・個人が、アメリカ社会のさまざまな部分に対して多種多様なコンシューマリズムの"ブランド"(とわれわれは見なしている)を提供している。これらのブランドは、資金、人材、マスコミの関心、世論を求めて、互いに競争しているが、これは企業が資本や経営能力や小売店の支持や顧客のロイヤルティを求めて競合するのと同じだ。この競争がどのように発展するか、"消費者関連産業"全体が外部の変化にどう対応していくかによって、コンシューマリズムの将来は決まってくる。
コンシューマリズムはライフサイクル上の成熟段階に達してはいるが、衰退ないし低迷の段階にまで進んでいないとわれわれは思う。こういう結論に達したのは最近の世論調査結果を2、3検討したうえのことなのだが、調査結果を見ると、表面に現われてはいないものの消費者がもっとよい扱いを受けるように働きかける運動に対して、依然として大衆の強い要望があるということが明らかである。また、古い売りもののいくつか(消費者保護立法といった)は不況に陥っているものの、コンシューマリズムのある側面、消費者被害救済・教育・協同組合購買・規制緩和といったものは、今でもよく受け入れられていると思う。
われわれは本稿において、コンシューマリズムが1980年代に向かうと思われる方向を分析し、予測する。われわれがここで前提としているのは、ライフサイクルによって、この運動の進化をかなりうまく説明できるという考え方である。だが、コンシューマリズムの現在ならびに将来の姿にこれ以上深入りする前に、その歴史をもう少し調べてみよう。



