企業も個人と同様に、組織的な骨組みだけではなく、経営方法の蓄積から成り立っている。そのような蓄積は現在の経営に役立つであろうが、変化への対応方法を語りかけてくれないかもしれない。そこで経営者は社史を開いて、先人が各時代の変化をどう乗り切ってきたかを学びとろうとする。

 社史はまた、企業診断の道具として、あるいは過去の成果を想い起こして、従業員の志気を向上するうえにも役立っている。会社の現状を偶発的な出来事の集積としてではなく、継続的なプロセスの一環として見るためには、経営者は社史にこめられた遺産と伝統を理解しなければならない。このような方法こそ、経営者の未来計画立案の能力を向上する道である。要するに経営者は歴史的資源を開発し、それを現在の経営に役立てる方法を学ぶ責任を負わされているのだ。

 経営者が意思決定を下す場合に、最後に自信の拠り所となるのは、高度の計画立案システムとか、ガイドラインよりむしろ、過去の蓄積、すなわち経験であろう。いわば経営者は、過去の認識の上に立って未来のビジョンを構築しなければならない。

 しかもしばしば、自身の経験よりはるかに膨大な企業の経験を考察すべき立場に立たされる。したがって、経営者が、自己の記憶のおよばない企業の過去を理解するためには、いっそう系統的、厳密な方法で、過去へのアプローチを試みることが肝要だ。

 社史の分野は、一般にはまだ開発されていないものの、重要な資源である。それは広報用パンフレットとか創立記念書籍など一般に"社史"と称する出版物の機能をはるかにしのぐ多くの価値を持っている。

 最近、シティコープ、AT&T(アメリカ電信電話会社)、コンソリデーテッド・エジソンなど一部の会社は、管理職のために戦略、機構、意思決定過程などのテーマについて、専門家を委嘱して歴史的な研究を行なっている。しかし全般的に見ると社史をめぐる問題点は、ヘンリー・フォード流に言えば、"眉つば的なところが多すぎる"ことだ。

 大部分の社史は、自己満足的儀式かあるいはセンセーショナルな暴露か、いずれにせよ、使い古した同一のコインの表裏にすぎないのだ。そして私たちが面接した管理職の大多数は、"そのような社史は読んでおもしろいが、あまり役に立たない"という意見を述べている。

 要するに、その中には出所不明な逸話や特記するほどの価値のない日常的な記述がふんだんに盛り込まれているか、あるいは特殊な出来事に重点をおきすぎているため、社史としてあまり役立たないという。

 マニュファクチャラーズ・ハノーバー・バンクの企業計画担当副社長で歴史関係の書籍に造詣の深いH. ピアーズ・ブルーワーは、この点についてつぎのように論評する。「社内で編集された社史の多くは、あまりにも内容が浅く、テーマも貧弱で、密度が薄すぎるきらいがある。したがって経営者には役立たず、歴史家からも信用されない」――。

 社史の多くは、企業の過去の歩みを振り返ってそのエッセンスを収録するというよりむしろ、過去にどのようなことがあったかを記述しているにすぎない。社史の編集に当たっては、現在と将来にわたって永続的に重要な意味を持つ過去の出来事とか意思決定をダイナミックに積み重ねてゆくことに、重点をおくべきである。