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現在、馬具(horse-collar)を見ようとすれば、納屋に入って、古ぼけて薄汚れたクギにかかっているのを見る以外にはない。西部へ行けば、まだ少しは博物館に置いてあるかもしれない。それ以外は、用無しとなって捨てられたのだ。馬が農業労働をしなくなったため、農夫に馬具は不用になったからだ。
では、ロボットが労働者(blue-collar)の仕事にとってかわったとき、労働者はどうなるのか。クギに引っかけた衣服が少々と、わずかばかりの形見が工業地域の博物館に残されるということになるのだろうか。著者は面白おかしく過去の歴史をふりかえっているが、その提起する問題は深刻であり、かつ極めて現実的なものである。
年老いたマクドナルドは農場をもっていた。そして何頭かの農耕馬をもっていたのだが、実際、彼はその馬どもの食欲については心底から気がかりであった。馬どもは働いても働かなくても、1日に25ポンドの飼料を食べ尽くす。感謝祭の日も、クリスマスも、復活祭の日も例外はないのだ。さらにそのベルギー種の馬が病気になれば、マクドナルドは獣医を呼ばなければならない。また馬が年老いてしまえば、やさしい農夫のマクドナルドはその馬を放牧場にださなければならないだろう。そこでは馬はただうろつきながら草を食べるだけなのだ。マクドナルドの住んでいるあたりの農夫で、こんな馬のためのゆりかごから墓場式の社会保障制度を快く思う者などひとりとしていなかった。
1905年のあるとき、農夫の一団が夜明け頃の小麦畑のまん中で、マクドナルドの病気の馬のそばに集まっていた。横ざまに倒れ、首を投げだしたこのあわれな馬は1トンもある自分のずう体をおこそうとしていた。農夫のホウィートシードが、この馬はどうしたのかと尋ねた。マクドナルドには、どうしてこの大柄で年老いた頼りになるベルギー種の馬が衰弱したのか分からなかったが、この馬はこのところずっと弱ってきたのだと言った。彼は馬の頭をゆさぶって、このなまけものを養いつづけるべきか、今すぐ銃で殺してしまうべきか分からないと言った。ピッチフォークが首輪のついた馬具をはずしてしまおうと言った。「その馬具はほかの馬のために必要だろう。もっともその馬を下取りにだして騾馬を手にいれることにするのなら別だがね――騾馬は馬ほど食わないから」――。
この麦畑での集まりがきっかけとなって、いまいましい馬や騾馬を養うための費用のことを農夫たちみんなが共通の話題として嘆きあうことになった。時々彼らは、馬どもは日中、馬屋で見事なオート麦やライ麦やぬかや干し草――これらは25ポンドもするのだ――を食べながらつっ立っているだけで何もしないと嘆く。「馬1匹を1年間養うためには牧草地がおよそ3エーカーもいる」とホーダウンが言った。そしてこの土地は農夫たちが耕作すべき土地なのではないか、と農夫たちの中でも考え深いホウィートシードは考える。「馬は牧草を食うが、自分でオート麦を育てたり刈り入れたりはできない。だから俺たちは奴らのために働くのなんてやめることだ」。ピッチフォーク、ホーダウンそしてマクドナルドの3人は意見が一致してうなずきあった。
倒れている馬をどうしようかと考えながら、彼らは片目でじっと空を見ているこの弱ったベルギー種の馬のまわりに立ち続けていた。「あんたのベルギー種の馬をもう一頭引っぱってきて、こいつを引き起こせるかどうかやってみたらどうだ」。ピッチフォークとホーダウンは何度もこんなことを言い出しそうになった。
いつものように年寄りのホウィートシードが、このやっかいな生き物のかわりに仕事をやってくれる機械、あそこの製材所の蒸気機関のような機械があったらどんなにすばらしいだろう、と言って話は終わった。「そいつは必要なときにだけ動かせ、仕事が終わったら止めることができ、しかもこのろくでなしどものことを四六時中気にかけている必要もなくなるんだ」。ノスリの群が弱った馬の上を旋回しはじめたとき、ホーダウンは倒れている馬の尻の上に足をのせ、帽子を目の上に引き下げて日の光をさえぎりながらこんな祈りをのべた。「神よ、どうかわれわれをこんなおいぼれ馬ども、飢えて干し草ばかり食べている生き物から解放してくれるジョン・ディーアを与え給え。そしてトラクターを発明させ給え」――。
神様はこの祈りをお聞きになっていたのだ。そしてジョン・ディーアのトラクターは、ホーダウンが夢見たものよりももっとすばらしい形で現われた。トラクターの発明よりおよそ1200年も前に首輪馬具が発明されてからずっと馬は農場での主要なエネルギー源であった(それより前には農夫たちは雄牛のくびきを馬につけようとしたのだが、それは馬の主要な血管を圧迫し、窒息させたので役にたたなかった)。馬は人間のためによく働いてきた。しかし今、マクドナルドや彼の友人たちは蒸気機関や内燃機関の時代に生きているのだ。これらの新しい機械がやり始めたことと比べられるようになったことで、1910年までにはアメリカの農場における2600万の馬どもは、日々好ましからぬものと見られるようになった。
ジョン・ディーアがホーダウンの祈りをきいて初めて商品として農業用トラクターをつくった1910年頃には、馬と農場の数はトラクターの生産ペースよりも早く減りはじめていた。農場の数は1910年には640万だったのが、1979年までに230万にまで減った。その一方でトラクターの数は1000台からおよそ450万台にまでふえた。これだけのトラクターを使うと、2600万頭の馬の3倍の仕事をすることができる。
馬の問題が解決されたことによる喜びと祝福の鐘が農夫たちの心の中で鳴り響いていたころ、トラクターの技術者たちは彼ら自身の新しい問題に遭遇していた。トラクターの組み立てラインで働く、未熟で、不正確で、一貫性のない、遊び好きの人間たちが問題をおこしていたのである。彼らは三度三度の食事と十分な衣服や家を必要とするだけでなく、テレビを見たり、車を乗りまわしたり、キャンプやスノーモビル、ステレオ、ボート、釣り道具、ボウリング、狩猟用具などを楽しむための余暇をますます求めるようになったのである。



