〈G型〉テープレコーダーの反省を受けて開発した〈H型〉で、とうとう売上げの7割は「市販〈テープコーダー〉」となった。
 念願の、官公需から市販中心の事業構造に転換した矢先、事件は起きる。それは敗戦国日本に対する戦勝国からの圧力に屈しない、日本人としてのプライドをかけた戦いだった。
 一連の経験を通じて、ソニーは、法務戦略は「最高幹部が扱う」重要な仕事であることに気づいた最初の日本企業となった。