初の海外出張から帰国した盛田昭夫は、水を得た魚のように、世界を目指し「自らの手でマーケットをつくる」目標を掲げた。
 しかし、当時はトランジスタ・半導体の黎明期であり、現実は困難の連続だった。科学者魂を発揮したメンバーたちの手によって、ようやく風穴が空く。
 そしていよいよ、世界に通用する社名「SONY」が誕生する。