売上げの大幅減を覚悟して、
新しいビジョンと戦略に取り組む
私が再び日本に戻ったのは、98年のことである。当時はフィリピン勤務だったが、P&Gジャパン社長のボブ・マクドナルド氏から「P&Gジャパンはあまりにもグローバル化が遅れているので、ひと肌脱いでほしい」と頼まれたのである。
どれほど素晴らしい戦略にも賞味期限がある。ヤーガー氏の戦略も、90年代に入ると陳腐化が明らかになっていた。競争の激化や経営幹部の交代なども重なって、P&Gジャパンの成長は止まった。90年代前半、売上高はほぼフラットで推移している。マクドナルド氏は踊り場からの脱出を図り、その一環として私を呼び寄せたのである。
99年、私はP&Gジャパンの人事本部長に就任。その前後から、マクドナルド氏をはじめとする幹部とともに新しいビジョンと戦略を検討し始めていた。同時期、グローバルのP&Gもまた戦略を刷新しようとしていた。グローバルの戦略との整合性を維持することは当然だが、日本が先行して取り組んだ施策も少なくない。
2000年前後、P&Gジャパンは以下のようなビジョンと戦略をまとめた。
ビジョンとして掲げたのは「売上げの成長と利益で一番になる」「素晴らしいイノベーションを生み出し、また、なくてはならないブランドを生み出すため消費者・ユーザー・顧客のニーズを誰よりも深く理解する」「生産性で一番になる」「満足した、そして満たされた社員」というものである。
戦略としては、六つのポイントが示された。「絶え間ない高質の新商品導入(Innovation)」「卓越した実践力」「消費者への競争力ある価値の提供」「コスト削減」「戦略的な顧客とともに成長し勝利する」「戦略実践に必要な組織と能力の構築」である。戦略の達成に向け、各部門には自らの役割を積極的に果たすことが求められた。また、そのために必要な専門能力の強化も重視された。
変革のプロセスには、さまざまな困難が待ち受けていた。一時的に大きく売上げが下がった苦しい時期もある。しかし、私たちはやり遂げた。業績は96、97年ごろを底に、再び上昇カーブを描き始めた。その変革をリードしたマクドナルド氏は、後にP&GのCEOに就任することになる。
次回は、マクドナルド氏の下で実行されたP&Gジャパンの変革をたどりたい。