技術革新によって
課題はあっさりと書き換えられてしまう
――作業と思考を繰り返し行っていくと、ある時課題が分かるというか、見えてくる瞬間があるということですね。その瞬間は必ずやってくるのですか。
納得できないと感じることにこだわり、根気よく作業を続け考え抜けば、その瞬間はいつか訪れます。

東京大学EMP 特任教授
私自身、「少子高齢化」をなんとなく聞き流してしまい、これはおかしいと分かるまで時間がかかりました。どこかがおかしいのだけれど、うまく説明できない。やっと別々の問題を一緒にしてしまっているから本当の課題が見えていなかった、と気付きました。
気が付いてしまえば簡単、かつ明白なことですが、多くの人は案外気が付いていないのではないでしょうか。みんな常套句、お題目を使うことで思考停止をしてしまっていて、どこかおかしいのではと引っかかり、深く考えようとしないことが問題なのです。
私が「課題先進国」という表現を思いついたのは、もはや「欧米先進国」という常套句を使う時代ではないことに目を向けてほしかったからです。2002年から数年フランスの田舎に住んでみて、「欧」と「米」はかなり違うこと、そして、「欧」も「米」も分野によっては先進国ではないということに気が付きました。
そのことを『アメリカと比べない日本』(2006年)という本で、アメリカを褒めても貶してもそれは逃げであって日本の本当の課題を直視していない、日本に目を向ければ、「高齢化社会の経営」という世界中で誰も答えを持っていない最先端の課題があるではないかということを訴えたかったのです。それが「課題先進国」という表現であり、それを解決すれば世界で初めてであり、「課題解決先進国」となるのだということでした。
しかし、小宮山宏先生のおかげでその表現が流行ってしまうと、みんなが日本は「課題先進国」であるというようになる。自分で言い出したのになんですが、何かおかしいと思えてなりませんでした。いつも気にしていたのですが、やっと分かったのです。
日本はあらゆる課題の先進国ではないのに、「課題先進国」が常套句になった瞬間に、日本はすべての課題の最先端にいるかのような錯覚に陥ってしまい、思考停止をしてしまう。そうではなくて、この分野は日本が課題先進国、この分野は違うと、場合分けして個別に論じていかなければならないことに気付いたのです。