新型コロナウイルスのパンデミックは、経営の持続可能性や人々が働くことの意味を問い直している。そこで我々は、「人々に『はたらく』を自分のものにする力を」というミッションを制定したパーソルキャリアの協力を得て、幸福学の研究で最先端を走る慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司氏と、ベストセラー『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社刊)の著者である早稲田大学大学院・ビジネススクール教授の入山章栄氏の対談を実現した。この対談から、ポストコロナ時代の経営と働く人たちの幸福について探っていきたい。

幸福度が高い状態で働くと
生産性は約1.3倍、創造性は約3倍になる
——まず前野先生にうかがいたいのですが、企業経営に幸福学を取り入れる意義は何でしょうか。
前野 さまざまな調査や研究から、幸福度が高い状態で働くと、人間の生産性は通常の約1.3倍、創造性は約3倍になるという結果が出ています。その意味で言うと、企業が従業員の幸福度を高めることで経営のパフォーマンス向上が見込めるので、取り組む意義は大きいのです。
また、従業員が幸せだと健康や長寿につながるなどのエビデンスが多くあります。経営者も従業員も、幸せに働くことを真剣に考えるべき時代が到来していると言えるでしょう。
——経営学の分野でも、幸せの研究は進んでいるのでしょうか。
前野 米国で開催された経営学会に参加した印象から言うと、黎明期という感じでしょうか。ウェルビーイング(幸福・健康)とか、マインドフルネスの研究で著名な学者が登壇するセッションだと立ち見の観客が出るほど混雑するのですが、そうでないと空席が目立っていました。また、従業員の幸福を高めることを意識して経営する企業も出始めています。
一方、米国に比べると日本は出遅れている印象です。従業員の満足度を高めるためにモチベーションやエンゲージメントを高める施策をしている企業は多いですが、従業員の幸福度を高める重要性を理解し、実践している企業はまだ少ないと思います。
入山 前野先生のご指摘の通り、経営学の中で幸福の研究はまだ十分に進んでいません。とはいえ、いまはまさに「夜明け前」といった感じで、近い将来にど真ん中のテーマになる可能性はかなり高いと思います。
経営に幸福の追求が必要であるかという問いを考察するのに、うってつけのエピソードがあります。2019年12月に発行した拙著『世界標準の経営理論』は、世界の主要な経営理論を解説した約800ページほどの本ですが、その終盤でどんでん返しとも言える項目を盛り込みました。
それが、世界的に著名な経営学者である米国ミシガン大学のジム・ウォルシュ教授らが2015年に『リサーチ・イン・オーガニゼージョナル・ビヘイビア』誌に発表した論文での言葉です。それは英語で「Law is to justice,as medicine to health,as business is to....」とあり、最後の「to」の後が空白になっているものなんです。
論文によると、実はこの言葉は彼が受け持つビジネススクールの授業で投げかける言葉なのだそうです。「法律の目的は正義、医療の目的は健康。それではビジネスの目的は?『to』の後に続く言葉を埋てください」と彼が問いかけると、ミシガン大学のようなエリート校に世界中から集まった学生も、思わず沈黙してしまうのだそうです。
「そういえば、ビジネスの目的って何だろう? 改めて問われると難しい」と困惑するからです。そして、熟慮のうえに回答する。しかし、その回答は人によってバラバラです。