日本航空(JAL)と大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)。ともに公共交通を担う2つの会社で、パイロット、乗務員が主導する“現場発のDX(デジタルトランスフォーメーション)”が進行している。どちらも「安全確保」という最重要課題を解決するため、システムのユーザーでもある社員たちがClaris(クラリス)の「FileMaker」(ファイルメーカー)をフル活用し、自律的に取り組んでいる。その経緯と成果についてレポートする。
望ましい行動を引き出すため
コンピテンシーを見える化
JALのパイロットたちが開発したのは、「JAL CB-CT」と名付けられたパイロット訓練評価システムだ。CB-CTは、「Competency Based Check and Training」の頭文字を取ったもので、「コンピテンシーに基づく評価と訓練」を意味する。
コンピテンシーとは、業務遂行に必要な能力、高いパフォーマンスを生み出す行動特性であり、パイロットにおいては、「航空機を安全、確実に運航できる行動特性」ということになる。
運航中には、機器の故障や不具合のほか、天候や気流の急変、ハイジャックなど、安全を脅かすさまざまな事象が発生しうる。その際にパイロットが取るべき行動を細分化・明文化し、それに基づく訓練の成果を評価するためのシステムとして開発した。

和田 尚氏
このシステムのユニークな点は、訓練内容と評価がデータベースに蓄積され、「何に強く、何が弱いのか」といった一人ひとりのコンピテンシーを瞬時に可視化できることだ。教官だけでなく、訓練を受けたパイロット自身も確認できる。
「かつては紙の書類に訓練履歴と評価をまとめていたので、パイロットごとにどんな訓練を受け、どの項目がどのレベルまで達成しているのかを把握するのは容易ではありませんでした。そこで、すべてをデータベース化し、行動特性を可視化できる仕組みをつくりたいと考えたのです」と語るのは、CB-CTの開発を主導した日本航空運航訓練部の和田尚氏である。

京谷裕太氏
データベース化すれば、パイロットごと、訓練項目ごとなど、さまざまな切り口で分析できる。望ましい行動を引き出すために訓練の方法を見直すといった対策も打ちやすくなるわけだ。訓練を受けるパイロットにも評価結果などのデータを共有する理由は、自分のコンピテンシーを客観的に把握し、自己成長につなげてもらいたいという狙いがある。
「すべては、運航品質の向上によって安全性を高め、お客さまに選んでいただける航空会社になるためです」と、和田氏とともにCB-CTの開発・運用を担当してきた運航訓練審査企画部でボーイング767飛行訓練教官・機長を務める京谷裕太氏は語る。
アジャイル開発できる
プラットフォームを選択
CB-CTの開発がスタートしたのは2012年。JALが経営破たんした翌々年である。再建途上でパイロットの養成は一時ストップしていたが、和田氏は「むしろ、訓練の仕組みを見直すタイミングだ」と前向きにとらえ、会社からの指示ではなく、みずからの意思で開発に着手した。
和田氏は、教官としてパイロットを養成しながら、最新鋭機エアバスA350の機長も務める現役パイロットであり、システム開発は専門外だ。通常ならIT部門や外部ベンダーに開発を依頼するところだが、あえて自分でつくることにこだわった。
「パイロットのスキルやコンピテンシーを知るためにどのようなデータをどうやって集め、どのような切り口で分析すればいいのか。それはパイロット自身がいちばんよくわかっています。そういう現場感覚を生かしながら自分たちでつくったほうが、使い勝手のよいシステムができると考えました」(和田氏)
IT部門に頼らず、会社からの予算の割り当てもない中で、和田氏が開発用のプラットフォームとして選定したのは、Appleの子会社であるClarisの「FileMaker」であった。
個人でもライセンス契約できるほどの手頃な価格で、プログラミングの専門知識がなくても簡単にデータベースが構築できることに加え、「ユーザー主導で素早く開発できることが選定の大きな決め手でした」と、和田氏は振り返る。
「一般的なシステム開発では、ユーザーとIT部門との間で試作、検証、修正とキャッチボールを何度も繰り返しますが、自分で開発すればそうした時間の無駄がありません。修正や機能の追加も簡単なので、ほかのパイロットから『ここを直してほしい』と言われれば、すぐに対応できます」(和田氏)

FileMakerにはiPadでデータを検索・閲覧できる専用アプリ「FileMaker Go」(ファイルメーカー・ゴー)が用意されている。
これならば教官やパイロットは、手持ちのiPadで評価データをいつでも確認できるし、システムの機能を改善してほしいときは、電話やメールで担当者に伝えれば、すぐに修正してもらえる。アジャイルな開発によって、CB-CTの機能や使い勝手は常にブラッシュアップされている。
こうして開発がスタートしてから1年後の2013年にデータベース化、15年に本格運用を開始した。訓練評価をデータでモニターしながら訓練内容を改善していく仕組みは監督官庁にも高く評価され、やがて国の制度としても採用されることになった。
いまでは日本航空と、そのグループ航空会社2社だけでなく、競合する大手航空会社なども同様の訓練評価スキームを利用している。和田氏が個人で始めた取り組みが、国内航空業界におけるスタンダードになったのだ。
現在、和田氏からCB-CTの開発・運用をバトンタッチされている京谷氏は、「日ごろは切磋琢磨し合っている他の航空会社から、システムの開発やデータベースの使い方についてアドバイスを求められることもあります。安全確保は航空業界共通のテーマであり、使命なので、経験とノウハウはできる限り提供しています」と語る。