病気の予防や健康増進など、公衆衛生のためにデータを活用することの重要性を、今回のコロナ禍で我々は改めて強く認識させられた。同時に、欧米や中国に比べて、わが国ではヘルスケア分野におけるデータ活用が遅れている現実を突きつけられることになった。

受益者である国民のために、データ駆動型のライフサイエンスやヘルスケアをいかに推進していくべきか。ビッグデータ、AI、スーパーコンピュータなどの計算技術を用いた創薬・医学研究の第一人者である京都大学の奥野恭史教授と、デロイト トーマツ コンサルティング ライフサイエンス&ヘルスケアグループの3人が語り合った。
(対談はオンラインで行った)

生命科学向けのデータ科学はレアな研究分野だった

西上 奥野先生は、ライフサイエンス・ヘルスケア分野でAIやビッグデータ技術を開発する産官学連携プロジェクト「ライフ インテリジェンス コンソーシアム」(LINC)の代表を務められるなど、大学という枠を超えて医療・健康領域でのデータサイエンスの研究をリードしてこられました。

 LINCには約130の製薬、ライフサイエンス、IT関連企業、研究機関などから600人を超える研究者が参加し、創薬AIの開発に成功するなど大きな成果を生み出していますが、そもそも奥野先生はデータサイエンスが医科学にもたらす可能性についていつ頃から認識されたのでしょうか。

奥野恭史 京都大学 大学院医学研究科ビッグデータ医科学分野 教授

実臨床データを用いた医療ビッグデータ解析・医療シミュレーションや、スーパーコンピュータ「富岳」を用いた創薬シミュレーション・AI創薬の新たな方法論開発に取り組む。理化学研究所 計算科学研究センターHPC/AI駆動型医薬プラットフォーム部門長を併任。

奥野 私は学位を取るまでウェット研究(実験科学)をやっていて、ドライ研究(情報科学)をやり始めたのは博士号を取った後です。学生のときにDNAなどの生体高分子の構造解析を研究していて、2つぐらいの立体構造を解読できたのですが、「これを生涯続けたとしていったいいくつの生体分子の構造がわかるんだろうか」と思ったのです。

西上 実験科学の限界を感じられたということですか。それともドライの可能性を見出されていたのでしょうか。

奥野 一つひとつの構造を解析していても、自分が生きているうちはとても生命を理解できそうにない。当時はちょうどヒトゲノム計画の全盛期だったこともあり、それで生命のための情報科学(バイオインフォマティクス)をやりたいと思いました。

 私が学位を取ってから数年後の2003年にヒトゲノムが全解析されたのですが、みなさんご存じのようにそれで私たちは生命を理解できたわけではなく、ある意味でそこからがスタートだった。ゲノムの全貌を見たら、生命が理解できるんじゃないかと考えていた私は、浅はかでしたね。でも、そこからずっとシミュレーション科学やデータ科学の分野を歩んできました。

根岸 2000年代初頭というと、いまのような世の中がなかなか予見できなかった時代であったと私も記憶していますが、その当時、奥野先生と同じような道を歩まれる研究者は多かったのですか。

奥野 生命科学向けのシミュレーションやデータ科学をやっている研究者はすごく少なくて、レアな存在でした。その後もずっとレアなままでした(笑)。この分野の真の価値が社会から認められるようになったのは、いわゆるディープラーニングが耳目を集めた第3次AIブーム以降です。世間一般にデータサイエンスが認知され始めたのと同じタイミングですね。

根岸 いずれ世の中の役に立つという確信があったから、ぶれずに研究を続けることができたのでしょうね。

奥野 私はウェットとドライを両方経験しているので、それぞれのできることと限界がわかっています。ですから、計算によってしかできないこととか、計算でしか見えない世界があることは理解していました。やっている研究の方向性に間違いはないという確信はずっとありましたね。

 私はいつも、実験や臨床と違って計算はウイニングショットが打てないと学生たちに言っています。リアルの世界とは異なり、どこまでいっても白黒はっきりしない(推定の域を出ない)のが計算の世界です。ですから、これが成功事例ですとか、成果物ですと世間一般にはっきりと示すことが難しい。

 ただ、計算のポテンシャル、データサイエンスのポテンシャルが非常に大きいことは間違いなくて、それがディープラーニングのおかげである日突然社会に認知され、評価が一変したというのが実感です。

 大事なことは、第1次、第2次AIブームのときのように、単なるブームで終わらせるのではなくて、データサイエンスの欠点もきちんと理解しつつ、研究のロードマップを考えていくことです。ブームではなく、腰を据えた研究分野として他の分野の研究者や民間企業などとも協力しながら、成果を出し続けることだと思います。私が(2014年に)薬学研究科から医学研究科に移ったのも、京都大学病院の実臨床データを用いたビッグデータ解析や医療シミュレーションなどの研究に取り組むためです。