ビリー・ジーン・キングは11歳の時に初めてテニスに挑戦し、自分の天職を見つけた。彼女は世界トップの女子選手になっただけでなく、女子プロテニスを統括する女子テニス協会(WTA)とWTAツアーを立ち上げ、テニスにおける男女間の報酬の公平性や多様性の向上に尽力した。

 キングはそのキャリアの絶頂期に、ウィンブルドンなどでの優勝経験のある、当時55歳の男子選手、ボビー・リッグスと男女対抗試合(The Battle of the Sexes)を行って勝利した。しかしその後、レズビアンであることを暴露され、耐えがたい思いをした。それ以来、LGBTQ+の権利を積極的に擁護するようになった。近著に回顧録All In[注1]がある。

HBR(以下太字):WTAツアーの創設についてお聞かせください。