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GMの財務
ゼネラルモーターズ(以下GM)は高い成長力を持った企業である。これまで述べてきたことは、この一点に集約されるだろう。設立まもない時期こそ、自動車産業全体の成長スピードについていくことはできなかった。
しかし1918年以降は、主として新経営陣による多様な施策が効を奏して、業界平均を凌ぐスピードで成長を遂げ、トップメーカーの地位を占めるまでになった。リーディング・カンパニーとして業界への貢献も果たしてきたと自負している。
社員、株主、ディーラー、消費者、サプライヤー、そして政府にも少なからず寄与してきた。GMの発展はこれらすべての関係者に利益をもたらしてきたが、この章では主に株主との関係に光を当てながら財務面での成長について述べていく。
GMは所有者にどのように奉仕してきたのか。それを知るには、何よりも財務報告書をひもとくことだろう。そこには、資金がどのように調達、確保され、現在までどのように生かされてきたかが示されている。
GMの株主は、事業の成功によって多大な金銭的ベネフィットを得てきた。創業以来、GMの利益はそのおよそ3分の2が配当金として分配されている。他企業を見渡しても、きわめて高い水準である。株主はGMの成長を後押しし必要な資金を提供するために、多大な再投資を行ってきた。
このため、やむをえないことではあるが、生産施設を拡大したり、多額の運転資本を要したりした時期には、配当額はけっして十分ではなかった。すなわち株主は、リターンが約束されていない状況でリスクを引き受け、創業まもない時期には低いリターンに耐えてくれた。
当時、金融業界は概して、GMを含めた自動車業界の現状と将来性に悲観的だった。事実、自動車メーカーの多くは――いずれも成功への情熱を持っていたにもかかわらず――すでに市場から消え、株主に損失を残した。したがって、GM株主の得てきた金銭的リターンについては、不確実な将来への投資という観点から考えることが欠かせないのである。
GMの歴史を財務の視点から振り返ると、大きく3つの時期に分けられるだろう。
・第1期(1908~29年):長期拡大期
・第2期(1930~45年):大恐慌と第2次世界大戦
・第3期(1945年~):戦後の再拡大期
もっとも、詳しく見ていけば、それぞれの時期がさらに拡大、縮小、安定といったサイクルに分けられる。すでに述べたように、GMの設立者ウィリアム S. デュラントは1908年から翌年にかけて多数の企業――その中心はビュイック、キャデラック、そして部品メーカー数社である――を統合した。そのための資金調達をめぐって氏は深刻な大問題に直面し、1910年には一時経営の実権を奪われる。
このようにして、デュラントが事業を急拡大した後、銀行団が堅実路線によって経営を立て直したため、1910年から15年にかけては縮小と安定の時期と呼べる。この間、事業はわずかに成長したが、業界平均には及ばなかった。
続く1916年から20年まで、とりわけ18年以降、復権したデュラントが、デュポン社からの出資を後ろ盾にジョン A. ラスコブと二人三脚で再び拡大路線を取った。この際には、借り入れや株式発行などさまざまな資金調達手法が用いられた。
事業拡大期
1918~20年
1918年から20年までの3年間で、GMは2億1500万ドルの設備投資を行っている。子会社への投資(6500万ドル超)を合わせると、この間の投資総額は2億8000万ドルを超えている。
 
    


