「招かれざるCEO」の企業変革

 ロバート・ナーデリがホーム・デポのCEOに就任したのは、2000年12月のことである。当時、この新任CEOは「招かれざる客」と見られていたようだ。ナーデリは流通分野での経験がないばかりか、それまで一貫してB2B(対法人向け)ビジネスに携わっていたため、B2C(対消費者向け)ビジネスの経験すら皆無だった。

 ホーム・デポに移籍するまでは、ゼネラル・エレクトリック(GE)の電力事業を率いていた。政府や法人に何百万ドルもの発電プラントを売っていたのだから、日曜大工好きの消費者たちに価格10ドルの照明スイッチを販売するのとはまったく勝手が異なる。

 ナーデリの指揮下に入ったホーム・デポは、実に順風満帆に見えた。過去20年間、かのウォルマート・ストアーズをも凌ぐ勢いで成長街道を驀進していたのだから──。しかしその陰には、財務や業務オペレーション上の問題が放置されていた。これらを解決しない限り、成長を続けられるかどうか、いやそれどころか、将来があるかどうかすら怪しかった。

 そこでナーデリは、GE時代に叩き込まれた経営手法によって、これら課題を解決しようとしたが、そこかしこで不協和音が聞こえてきた。ホーム・デポは、伝説的な創業者、バーニー・マーカスとアーサー・ブランクによって培われてきた、自由奔放で仲間意識を重んじる社風で知られており、これがナーデリの手法とは相容れなかったのである。

 2000年度の売上高が460億ドルに上り、「400億ドルを稼ぐ新興企業」という異名を持つホーム・デポを大企業流の力技で改革し、揺るぎない基盤を築くには、まさにこの社風に挑む必要があった。

 ナーデリは当然ながら、率先してリーダーシップを振るった。アメとムチを使い分けると共に、率先垂範によって、強い責任感など、望ましい価値観を社内に植えつけていった。それと並行して、企業文化を漸進的に変えるために、いくつものツールを採用した。その多くを実務に導入し、成果へとつなげたのは、落下傘降下した腹心たちだった。

 ナーデリはホーム・デポに転じてほどなく、GE時代の同僚デニス・ドノバンを人事担当責任者に迎えた。それまで人事部は、経営陣に何も答申できないことで有名だったが、そこに懐刀を送り込み、社内随一の高報酬で処遇することで、再建には企業文化の変革が必至であるというメッセージを社内に発信したのである。

 この5年間、ホーム・デポは実に安定した業績を上げてきた。株価はナーデリが招聘される直前につけた最高値には及ばなかったとはいえ、また売上高成長率も1990年代末の異常ともいえる記録には届かなかったが、確実に増収増益を維持している。