金融工学で自己資本を有効活用する

 ごく平均的な製造業やサービス業の経営幹部に、「おたくでは、デリバティブ(金融派生商品)をどのように運用しているのか」と尋ねてみても、「そんなことは、財務担当者に聞いてくれ」という答えが返ってくるのがおちだろう。

 金融機関、あるいは市況商品を扱っている企業ならば、まさしく戦略上の武器として、以前からデリバティブに親しんでいるだろうが、それ以外の業種では、デリバティブはいまだに小手先の技と見なされている。つまり、競争優位を創出し、これを維持するという中心課題とは何の関係もないと思われているらしい。それゆえ経営者は、デリバティブ・ポートフォリオの運用を財務部門に丸投げしてしまう。

 しかし、このように一任してしまうのはきわめて危険だ。相次ぐ不祥事によって、いい加減思い知らされたはずだろう。だれも知らず、承認も得ないまま、膨大なリスクを背負い込んでいた。それだけではない。経営陣や取締役会がリスク・マネジメントに無関心であると、戦略上またとないチャンスを逸してしまう。この点もあまり認識されていないようだ。

 今日の金融市場にはさまざまな新手法が登場している。たとえば、経営者は自社の資本構成を工夫することで、株主や社債権者(債券の保有者)、取引先、企業年金加入者、その他の債権者が負担するリスクを、事実上たった1種類にまとめることができる。

 その1種類とは、付加価値を創造するうえで必然的に伴うリスク、すなわち「付加価値リスク」(value-added risk)である。これは、競争優位が高く、NPV(正味現在価値)がプラスの事業につきもののリスクだ。これ以外のリスクは、すべて金融市場でヘッジするか、保険によってカバーできる。

 大半の大企業において、自己資本(資本金+剰余金)は、他社と同じ程度にしか管理できないリスクの緩衝材(バッファー)として用いられている。ひるがえって、このような付加価値を創造しないリスク、すなわち「パッシブ・リスク」(一定水準以上の価値を生み出さないという意味から)をすべて削ぎ落とせるならば、ライバルよりも高い価値を生み出す資産や事業にいまある自己資本を振り向けることができる。その結果、最終的に株価も押し上げられるはずである。このように、金融工学を活用して株主価値を高められる余地はまだまだある。

 机上の空論などと、思わないでほしい。たとえば、20年前に始まった金利スワップは、革新的な手法として銀行業界がこぞって活用し、投下資本1ドル当たりの付加価値を大幅に向上させた。多彩なデリバティブが次々に登場している現在、銀行業以外の業種でもこの手法を使って数百億ドル規模の株主価値を生み出すことが可能である。特に非公開企業の場合、株式市場にアクセスできず、エクイティ・ファイナンス(新株発行による資金調達)も不可能なため、デリバティブの活用は一段と重要であろう。

 逆に言えば、金融工学を上手に活用すれば、自己資本を戦略上重要な投資に振り向けられる。ならば、わざわざ増資せずとも、付加価値を創造する事業に資金を回すことができる。しかも、リスクの水準は変わらない。単に、リスクの性質が変わるだけである。さらに重要な点は、既存事業の運営方法を変更することなく、付加価値を増大できることだ。

 以下では、付加価値リスクとパッシブ・リスクの違いについて述べる。このことは、ぜひ経営者諸氏に理解していただきたい。つづいて、リスク・バランスシートの作成方法を説明する。リスク・バランスシートをつくれば、現在抱えているリスクが一目でわかり、どれくらい自己資本によって引き当てるべきかが判断できる。

 リスク・バランスシートを活用して、みずから負うべきではないリスクを見極め、デリバティブなどの手段によってパッシブ・リスクを切り離し、付加価値リスクにどれくらい自己資本を振り向けるかを決める。