多くのリーダーはそのキャリアのどこかの時点で意識的に、あるいは知らずしらずのうちに、アブラハム・マズローの「欲求階層説」に従って、ないしはそれをもとに正当化して、自分自身や部下のモチベーションを高めてきたことだろう。

 人間はまず食べ物や水、住まい、安全といった低次の欲求を満たされる必要があり、それが満たされて初めて、自己実現のような高次の欲求に動機づけられるようになる、というのがマズローの考えだ。あらためて説明するまでもない有名な理論である[注1]

 マズローが定義づけた基本的な欲求に取り組むことは、もちろん必要である。職場の安全衛生環境を改善するのは経営として正しい行動だ。生きるための根源的なニーズにさえ事欠く人がいれば、水や食ベ物が行きわたるよう努力するのは人道的である。路上で困窮している人々に安心できる生活基盤を提供する手助けをするのはまっとうな行為である。

 だが、企業経営においては、その点にだけ意識を向けていたら、職場で働く人々のニーズやモチベーションについて大切なことが抜け落ちる危険性がある。働く人のニーズは、マズローが提示したような階層構造だけでは捉えきれないからだ。どんな場面でも、私たちは高い次元でモチベーションを上げることができる。

 マズローの欲求階層説はいまも根強い人気があるが、近年、経営理論の領域でその観点からの研究が行われることはほとんどなくなった。その一方で、エドワード・デシ博士の自己決定理論への注目が高まっており、多くの研究者が枚挙に暇がないほど大量の研究論文を発表している。

 それは、すべての人間が持っている3つの心理的ニーズについての理論である。欲求のピラミッドに焦点を当てるのではなく、「自律性」「関係性」「有能感」が人間のモチベーションに与える影響に注目し、そこに働きかけようとする取り組みである。