ディープ・スマート消滅の危機

 だれかが複雑極まりない状況において、瞬時に決断を下したとしよう。後に、その決断がそこそこ優れていたという程度のものではなく、まさしく素晴らしいものだったことがわかると、「何て頭がよいのだろう」と感心したりするものだ。その人が同じようなことを繰り返すのを見ていると、特別な何かの存在に気づくはずである。

 それは、単なる頭脳でもなく、EQ(心の知能指数)でもない。もちろん頭脳は大事である。EQが関係しているケースも少なくない。それは「ディープ・スマート」と呼ぶべき知識である。これが、謎めいた何かを生み出し、また的確な判断をもたらす。

 ディープ・スマートの持ち主は、全体を俯瞰し、とても余人には識別できない特定の問題を発見できる。その判断は直観でありながら、おおよそ正しい。しかも、適切なレベルで、適切な人々と──。

 たとえば、未開拓の海外市場に、いつ、どのように参入するのかを理解しているマネジャー、組織が危機的状況に瀕している時、どのようにコミュニケーションを図ればよいのかを心得ている経営者、別々につくられた部品間の関連性にまで立ち戻って商品の欠陥を追跡できる技術者などである。

 このような知識は公に流通してはいない。また、事実というよりもノウハウに近く、システム思考とその道の専門知識によって形成される。ただし、ディープ・スマートは必ずしも哲学的なものではなく、その意味から英知とは言いがたい。しかし、ビジネスが獲得した知恵といえる。

 組織の至るところに、ディープ・スマートの持ち主がいる。形式知と暗黙知を含め、彼らの判断力や知識は、その頭脳と両手に宿っている。これらの知識は必要不可欠なものであり、それなくして組織の成功と発展は望むべくもない。

 したがって、ディープ・スマートがどのようなものであり、どのように培われ、どのように継承されるのかを知ることが、より有能なマネジャーへの道だろう。しかし、この知的資産を上手に管理できている組織は皆無に近い。おそらく特定と測定が難しいからなのだろうが、なおざりにするのは危険である。

 多くの人々が長い年月をかけて、実践的で、多くの場合、その組織固有の専門性を磨いていく。ところが、当の持ち主はその知識と一緒に会社を去っていく。ベビー・ブーマーたちに定年の波が押し寄せつつあるが、高付加価値の知識を有する社員やリーダーの多くがここに属している。