「よいこと」が進まない理由

 1998年に妻とボストン郊外に引っ越してまもなく、私は町の中心部に自転車専用道路が建設される計画を耳にした。住民説明会に参加してみると、計画はかなり進んでいた。地域が道路に求めることが明示され、ルートが提案されて、実現可能性に関する報告書も作成されていた。

 手続き上はやるべきことがまだ数多くあったが、私は市民としての高揚感を胸に会場を後にした。地元のコミュニティが(私のコミュニティが)団結して、よいことを成し遂げようとしているのだ。

 あれから四半世紀以上。自転車専用道路はまだない。

 その理由を──そして、米国では政治的な意志やリソース、ノウハウがあっても物事を成し遂げられないことが多い理由を、3冊の新著が解説している。

 高速鉄道やエネルギーインフラの変革、手頃な価格の住宅の建設といった目標について、私たちは何十年も話し合ってきた。この100年間で米国の農村部に電気を通し、社会保障制度やメディケアを創設して、州間高速道路網を建設した。いずれの事業も、私の町がささやかな自転車専用道路の建設を目指して費やしてきた時間より、短い時間で実現している。私たちはどこで間違えたのだろうか。

相反する統治アプローチの悪影響

 ブラウン大学の研究員マーク J. ダンケルマンは新著Why Nothing Worksで、驚くべき主張を展開している。進歩主義者は(ダンケルマンもその一人だ)この件について、すべてとは言わないが大いに非難されてしかるべきだと語る。そして、その核心にあるパラドックスを指摘する。すなわち、進歩主義者は権力を上のレベルに引き上げて、トップダウンで問題を解決できる人物や機関に権力を集中させたい(たとえば、気候変動への取り組みを主導する)が、一方で権力を市民まで押し下げたいと考えているというのだ(たとえば、中央政府が女性に対し、自分の体をどう扱うかについて指図できないようにする)。

 こうした相反する統治へのアプローチは、(中央集権を信奉した)アレクサンダー・ハミルトンと(権力の抑制を求めた)トーマス・ジェファーソンの時代から、米国の国家的プロジェクトにおいて陰と陽の関係にあった。20世紀の前半はハミルトン主義が優勢だったが、後半はジェファーソン主義に重心が傾いたと、ダンケルマンは記している。「『スラム街の浄化』、外国産石油への悲惨な依存、あふれる公害、(中略)蔓延する汚職」など、権力の乱用は権力層の責任だと、改革主義者が気づき始めたからだ。