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人と技術──その心理的力学
過去50年間、我々は、車で出勤したり、飛行機で移動したり、電話やコンピュータを使ったり、電子レンジで料理したりと、技術と一緒に暮らしてきた。その間、技術はおおむねその立場をわきまえていた。
それでも、わずか5年前でさえ、技術は人間とは一線を画した「下僕」と見られていた。ところが、最近とみに目を引くのは、技術が至るところに存在するようになっただけでなく、人間にとってきわめて親密な存在に変わったことである。
人々はインターネットの仮想世界で想像上のアイデンティティを生み出し、もう一つの人生をあくことなく演じている。子どもたちは、世話や愛情を求めてくる人工のペットと親密な絆を結んでいる。
「ウエアラブル(装着型)・コンピュータ」の実現をもくろむ新世代の人々は、眼鏡型のモニターや自分の身体をサイボーグ化された自己の一要素とすることに、もはや違和感はない。
映画には、こうした展開に対する我々の切実な不安が反映されている。ヴィム・ヴェンダース監督の『夢の涯てまでも』では、人間が自分たちの夢を映像で叶えてくれる技術の虜になる。『マトリックス』の監督のウォシャウスキー兄弟は、人々が仮想現実ゲームに接続される未来図を描き出した。スティーブン・スピルバーグ監督の『A.I.』では、一人の女性が自分を愛するようにプログラミングされた子ども型ロボットのデイビッドに感情の葛藤を覚える。
今日、我々はまだ愛情を求めてくるヒト型ロボットや、『マトリックス』のように現実を飛び越えたパラレル・ワールドに直面しているわけではない。それでも、我々はいまの時点で経験している仮想現実に日増しに心を奪われつつある。たとえば、チャットルームに参加する人々は、オンライン生活とオフライン生活との境界があいまいになっている。
将来、感情や気持ちを示すようなロボットが開発される見込みは十分にある。では、ロボット犬が日常生活の伴侶となった時、それは人々にとって何を意味するのだろうか。あるいは、ロボットの看護婦につき添われるようになった時、それは入院患者にとりどのような意味を持つだろうか。
我々は消費者としてもビジネスマンとしても、今日利用している技術のみならず、近い将来実現するだろうイノベーションが及ぼす心理的影響をしっかりと見極めなければならない。