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変化は機会を意味する
1920年代半ば、ゼネラルモーターズ(以下GM)は企業力を増進させていた。しかし、経営危機を脱し、事業部制を構築したことを除いては、いまだ目に見える成果は生んでいなかった。市場戦略を固め、財務コントロールを強め、機能間の壁を超えて総力を結集できる体制も整えたが、1924年末の段階では、業績を大きく伸ばすまでには至っていなかった。
たしかに、1921年の不況が去った後、とりわけ23年には売上げが劇的に拡大したが、これはGMの経営力よりも、景気全般の回復と自動車需要の増大によるところが大きい。社内ではさまざまな経営改善を進めていたが、市場では足踏みを続けていた。しかし、飛躍への機は熟していた。
GMにとって幸運だったのは、1920年代初め、さらには24年から26年にかけて、自動車市場が大きく変貌したことだ(これは、1908年の〈T型フォード〉誕生と並び、きわめてマグニチュードの大きな出来事である)。
「幸運」と記したのは、王者フォード・モーター(以下フォード)に挑む立場にあったGMにとって、変化は追い風だったからである。GMは失うものを持たず、変化は紛れもないチャンスだった。社内は、そのチャンスを最大限に生かそうと勇み立っていた。すでに述べてきたように、そのための地ならしもできていた。
だがこの時点では、GM流の事業手法が自動車業界全体に広まるとも、業界の発展を促すとも予想していなかった。ここでは説明を進めやすいように、自動車産業の歴史を3期に分けておきたい。
・第1期(1907年以前):自動車価格が高く、富裕層のみを対象としていた時代。
・第2期(1908年から1920年代前半まで):マスマーケットが開拓された時代。フォードが「価格を低く設定して自動車を輸送手段として普及させる」というコンセプトでこのトレンドを主導した。
・第3期(1920年代中盤以降):モデルの改良が重ねられ、バラエティが増えた時代。
GMの方針は、第3期のトレンドに合っていた。
上記いずれの時代にも、アメリカ経済は長期にわたって拡大しているが、成長の速度も、国民への富の分配状況も、それぞれ異なっている。初期にごく一握りの富裕層が、高価でしかも――今日から見れば――信頼性の乏しい自動車を購入したからこそ、自動車産業は成り立つことができた。
やがて、数百ドルの自動車を購入する人々が増え、〈T型フォード〉のような廉価な車種が生み出された(〈T型フォード〉は市場が長く待ち焦がれていた製品だったといえるかもしれない)。1920年代に入ると、自動車産業が牽引役となって経済がさらに拡大した。こうして数多くの複雑な要因が生まれ、市場は再び大きく変貌することになった。自動車産業は大きな転換期を迎えようとしていた。
では、新しい要因とは何か。おそらく4つにまとめられるだろう。①割賦販売、②中古車の下取り、③クローズド・ボディの登場、④年次のモデルチェンジ(自動車を取り巻く環境まで考えに入れるなら、「道路の整備」という項目も加えたい)。
これらはいずれも、今日では業界に深く根を下ろしており、自動車市場と不可分の関係にある。1920年代前半までは、自動車の買い手は初回購入者がほとんどだった。支払方法は現金あるいは個別仕様のローン。製品はロードスターもしくはツーリング・カーで、モデルチェンジは稀にしか行われなかった。
このような状況は何年も続いていたが、ひとたび流れが変わると、ごく短期間にすべてが激変した。個々の要因は異なった時期に生まれ、異なったスピードで変化していったが、それらが相まってやがて大きなうねりとなっていった。



