「創造性」礼賛こそ有害である

 創造性さえあれば、目覚ましい成長と繁栄を手に入れられる──。こうさかんに喧伝されているが、事実はまったく異なる。このような主張は、とりわけライン・マネジャーにすれば、害悪にすらなりかねない。

「組織に適応することをひたすら心がけるよりも、自由に創造性を発揮したほうがはるかに価値がある」と創造性を礼賛する人々は、この考え方によって逆に、企業からみずみずしい創意工夫の精神を奪っていくだろう。

 なぜなら、このような人々はえてして、着想を得ることとアイデアを実行に移すことを取り違え、アイデアを夢想しただけで、現実にイノベーションを成し遂げた気分に浸っているからだ。実務に携わるマネジャーが日々どれほどの難題に直面しているかを知らず、事業がいかに複雑な組織に支えられているかにも無頓着である。

 事あるごとに「創造性を最大限発揮しなければならない」というアドバイスが聞こえてくるが、これには大きな弊害がある。それは要するに、現実を直視せず、斬新なアイデアを生み出すという容易な仕事と、実際にイノベーションを達成するという恐ろしく困難な仕事を混同している点である。

 いやそれどころか、創造性の定義そのものが誤りなのだ。この言葉は「素晴らしい、独創的なアイデアを生み出すこと」という意味に用いられ、アイデアばかりに焦点が当てられている。そのうえ肝心のアイデアの価値にしても、企業や消費者にとっての有用性より斬新さだけで評価されがちだ。

 本稿で示すように、新しいアイデアを得るのは机上の世界では、たしかに創造的かもしれないが、実際にはたいてい、事業にとってマイナスにしかならない。企業の糧になるどころか、その前途を暗くしかねないのである。

 ここでタイプの異なる2人の画家を想像してみよう。一人は素晴らしい絵画の構想をとうとうと語るが、けっして絵筆を取ろうとはしない。もう一人はその同じ構想をかたちにする人である。後者については、だれもが「創造性に満ちた偉大な芸術家」と認めるだろう。だが前者についても同じ評価を下すだろうか。言うまでもなく、答えは「ノー」だろう。作品を創り上げるのではなく、絵空事を述べ立てているだけだからだ。

 ビジネスの世界にあふれるもっともらしい創造性の礼賛も、まったく同じ愚を犯している。無数の講演、書籍、記事、あるいは創造性開発のワークショップが、企業やマネジャーに向けて、新しいアイデアを次々と生み出す秘訣を伝授しようとしている。