イノベーション・プロセスをオープンにする

 1990年代後半、アメリカ経済が活況を呈していた頃、産業界はイノベーション・ブームに沸いていた。画期的なアイデアを生み出して技術のパイオニアとなり、従業員の起業家精神と独創性を育むために大金を注ぎ込んだ。ベンチャー・キャピタル分野に進出したり、新規事業のインキュベーターとなったりした企業もある。何物をも恐れない、型破りなエグゼクティブたちも多数誕生した。ユニークな発想が芽生えることを期待して、コンサルタントの力を借りた企業もあった。

 ところが21世紀に入り、これらのほとんどが規模縮小もしくは棚上げ、あるいは完全に廃止されている。経済が冷え込み始め、企業はあわててイノベーションへの投資を削減したのである。数カ月前には確保されていた予算も突然打ち切られる可能性も高くなった。経営陣たちは、あれほど繰り返し語っていた「将来を創造する」といった言動を控え、「コア事業を守る」というコメントばかり口にするようになった。

 とはいえ、このような変化は産業界ではよくあることだ。ほとんどの企業では、イノベーション投資は過熱した後、一転して冷え込むという波がある。一時的には大金を投じても、優先課題を突きつけられたとたん、投資をストップするという循環を繰り返す。

 アメリカ工業研究所が実施した年次調査がそれを裏づけている。そのリポートによれば、調査対象となった経営陣たちは、80年前半には、「イノベーションが最優先課題である」と回答していた。ところが後半になると、彼らはイノベーションに興味を示さなくなっている。90年代に入っても、イノベーションは優先課題の上位にランキングされていない。それが後半になると、再び第1位に返り咲いている。ハーバード・ビジネススクールのヘンリー・チェズブロー教授は、60年代にもこのような循環があったと指摘している。

 市場環境や企業戦略の変更による影響を免れた施策など存在しない。イノベーション政策は、慎重かつ厳格な評価をクリアしたものでなければならないばかりか、投資対効果が確実に見込めないものは、縮小するか焦点を絞り直す必要がある。ただし、ここで問題にしているのはそういうことではない。イノベーションへの投資政策はそもそも信頼できないという点にある。

 イノベーションに関する予算がカットされると強力なプロジェクトさえもボツとなり、その結果、その企業は悲惨な状況に陥る。有望な企画がそろそろ実を結ぶかという段階になって突如中断されたりする。強力に推し進めていたトレーニングが何の説明もなく中止されれば、従業員は首をすぼめることだろう。惜しみなく金を投じた研究所も閉鎖され、有能な研究員やデザイナーたちは配置転換か、もしくは解雇となる。さらには、弁護料だけで数百万ドルかけた企業提携もあえなく放り出されるだろう。

 なかでも最悪なのは、投資に失敗したという後ろめたさから、将来への布石となるイノベーションへの投資さえも断念してしまうことだ。その結果、市場競争図を一変させるような「破壊的変化[注1]」が起こった時、企業は不意打ちを食らうこととなる。