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成長企業の改革マインド
大きな仕事を任されたと想像してみてほしい。各地域を統括する13人の役員から報告を受ける立場に立ったとしよう。
その役員たちは計72人の地区責任者を監督していて、各責任者がそれぞれ「フォーチュン1000」社並みの事業を運営しているとしたらどうだろう。しかもそれはコア・ビジネスで、他にも監督しなければならない事業があり、そのいくつかは10億ドルを超える利益を上げているとしたら……。
ユナイテッド・パーセル・サービス(以下UPS)会長、ジム・ケリーにとっては、それが現実だ。
UPSが1907年にシアトルで創業を開始した当初は、体力自慢の若者を数人雇って、自転車でのメッセンジャー・サービスを提供する小さな会社にすぎなかった。以来、同社の事業は市場の変化に対応して幾度となく変身を遂げてきた。地理的な範囲のみならず、取り扱い商品、そしてミッションまでをも拡大してきた。
しかし、10年ほど前から、環境変化はより複雑かつ急激なものとなっていた。ケリーは「UPSの人間は、その変化の歴史にもかかわらず、自分たちを柔軟だとか変わり身が早いと思っていなかった。だからさらなる挑戦を試みた」と語る。
UPSの企業文化は伝統的に「サービス品質第一主義」であり、IE(indus-trial engineering:生産工学)を基盤としている。ミスを減らし、着実に成果を積み重ねることが重視されてきた。
その典型が「340のテクニック」というドライバー用のマニュアルである。車のキーを紛失しない扱い方から、きびきびと歩くために1秒当たり何歩で進めばよいかまで、事細かに示されている。
ケリーは一連の改革(90年を超えるUPSの歴史においてある意味で最も大規模な改革)を準備する際、組織的な課題が2つあることを認識していた。一つは、新しい戦略を明確に伝え、社員一人ひとりが自分の役割を再定義できるほどに徹底させること。もう一つは、新しい分野に大胆に踏み込む自信を社員に与えることであった。
本インタビューは、HBRのシニア・エディター、ジュリア・カービーが2001年7月に行ったものである。その際、ケリーは社員について「自社や自分たちについての表現が変わった」と述べている。自らを、不確実な世界にも尻込みしない改革者集団と評するようになった、というのである。ケリーは堅実な業務遂行を徹底させる点で定評があり、それを思えばこのエピソードは驚くべき成果だといえよう。
ケリーがUPSに入社したのは64年のことである。クリスマス・シーズンの需要のピークをさばくための臨時雇いのドライバーだった。
97年から会長兼CEO(最高経営責任者)を務め、2002年1月、UPSと共に歩んだ37年間にピリオドを打って引退する(ただし、同社の慣例どおり、今後も取締役会には参加すると思われる)。
「UPSに何を残せると思うか」と質問しても謙遜して答えなかったが、次の会長のマイケル・エスキューが、ズバリ一言で答えてくれた。
「ケリーが教えてくれたのは、片目でハンドルをにらみながら、もう片方の目でできるだけ遠くを見ることだ」