山本 現代は情報過多の時代です。しかし、私たちが情報に向けられる「アテンション」や可処分時間は有限です。その稀少性ゆえに経済的価値が生まれ、それらが取引されるのが「アテンション・エコノミー」(関心経済)です。

 ソーシャルメディアの多くは無料で利用できますが、それはユーザーが対価としてお金の代わりに自分のアテンションを「支払っている」からです。このビジネスモデルにAIが組み合わされることで、非常に強力なアテンション獲得のメカニズムが生まれる。そこでは、利便性の裏側で、アテンションをより多く獲得するためにコンテンツはますます刺激的で過激なものになりがちです。さらにAIによるパーソナライゼーションが、ユーザーの認知傾向や嗜好を分析し、クリックされやすいコンテンツを次々と推奨することで、偽情報や誹謗中傷が拡散・増幅されやすい環境がつくられています。

 これは「パブロフの犬」のように、刺激(レコメンド)に対して無意識に反射(クリック)を繰り返している状態ともいえます。人間の自律的な意思形成、つまり「自己決定権」が外部からハッキングされている状態に近いと私は考えています。

永井 「アテンション」の獲得につきましては、そもそも広告の本分でもあり、我々にとっても非常にセンシティブな課題ではあります。ただ一方、これだけ情報が氾濫していると、もはや個人がすべてを自己決定において取捨選択するのは不可能で、自己に最適化されたアルゴリズムに裏付けられた情報に従ったほうが間違いは少なく、自己決定のコストも圧倒的に下がるという考え方もあるようです。

電通
代表取締役副社長執行役員
永井聖士
1987年、電通に入社。 ラジオテレビ局勤務から始まり、長らくテレビビジネスやメディア・コンテンツビジネスに携わる。ラジオテレビ局長、統括執行役員メディア・コンテンツ担当などを歴任。2024年より代表取締役副社長執行役員に就任。一般社団法人日本広告業協会メディア委員会委員長、慶應義塾大学X Dignityセンター アドバイザリーボードを務める。

山本 自律的・理性的な個人を前提としてきた「近代」そのものをどう捉えるかという深遠な論点に関わります。たしかに現在の社会ではすべてのデータのトランザクションを自分で把握し、自分で決定することは現実的に不可能です。それでも私は、理念として「自己決定」は維持すべきだと考えています。理由は2つあります。

 第1に、もし自分で決めないのなら、誰が、どのような基準で決めるのか、という問いが出てこざるをえません。アルゴリズムに従うべき根拠は、結局のところ、アルゴリズムに委ねることを「自分で決めた」という点に求めざるをえないでしょう。そうでなければ、「社会全体の最適化」やAIが定義する「私」のためにアルゴリズムに「決められる」ことに理論的に対抗できなくなります。もちろん、人間の認知能力には限界がありますから、今後は判断の一部をAIに委ねるハイブリッド型の意思決定が重要になるでしょうが、その役割分担は、あくまでも「自分」で決めるべきです。AIなどの技術も、個人の重要な意思決定を支援するものでなければなりません。

 第2に、プライバシーの意味合いの変化です。かつては自室にこもればプライバシーは確保されましたが、ネットに常時接続している現代では、部屋にいても端末を通じて行動データが外部に送信されます。物理的な壁が意味を成さない。そうなると、プライバシーは、どの範囲の個人データを他者と共有するかを「自分で決める」ことによって、人為的につくり出すしかありません。もし自己決定を放棄すれば、「私的領域」は常に他者に決められ、心からくつろげる空間や時間は永遠に失われてしまうでしょう。

「決めてもらうこと」に慣れてしまえば、個人レベルだけでなく、社会レベルの自己決定、つまり「民主主義」の基盤も揺らぎます。実際、「政治システムそれ自体もAI・アルゴリズムに委ねてしまえばよい」という意見も出てきていますが、AIとの役割分担も含め、「私たち」が決めるということを「理念」としてはやはり維持すべきです。

慶應義塾大学
大学院法務研究科教授
同大学X Dignityセンター共同代表
山本龍彦
1999年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、2005年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。慶應義塾大学大学院法務研究科教授、同大学X Dignityセンター共同代表。日本公法学会理事、内閣府消費者委員会委員、総務省「ICT活用のためのリテラシー向上に関する検討会」座長なども務める。近著に『アテンション・エコノミーのジレンマ』(KADOKAWA、2024年)。

永井 AIに委ねるにも自己決定を行うというパラドックスにまで主体性を解釈しなければならない点は興味深いです。また、ご指摘された「ハイブリッド型の意思決定」という観点は、今後を考えていくうえで非常に重要です。さらに、これからの「プライバシー」(私的領域)は、「個人データ」の共有範囲により決まってくるのではないかというご指摘も今日的な解釈でわかりやすいと思います。

アテンション獲得と公共性、ジレンマに悩むマスメディア

永井 冒頭に触れた日本新聞協会の声明は、マスメディアとしての信用力への危機感の表れとも理解でき、私たちも、メディアビジネスの観点からそうした危機感を共有しています。

山本 アテンション・エコノミーについて議論すると、「そんなものは昔からあったではないか」という批判、特に民放テレビこそがその元祖だという声が聞かれます。視聴率という形で人々の関心を集め、無料でコンテンツを提供するビジネスモデルは、たしかにアテンション・エコノミーの一種といえるでしょう。

 しかし、放送事業者は、経済的動機から関心を集めたいという欲求を持ちながらも、同時に放送法が掲げる民主主義の維持・発展といった公共的な目的のために、アテンション獲得だけに過度に傾倒してはならないとされてきました。このアテンション獲得への欲求と公共性担保の責務という「ジレンマ」の間で葛藤すること自体が、ある種の創造性を生み出してきたともいえるでしょう。私の著書名に「ジレンマ」という言葉を入れたのは、まさにその利点を強調したかったからです。

 一方、現在のデジタルプラットフォームの多くは、法的な規律から自由にアテンション獲得に全力をそそぐことができ、ユーザーの膨大なデータとAI技術をも駆使できる点で、従来のメディアのビジネスモデルとは決定的に異なります。メディアもこの土俵で競争せざるをえなくなった結果、全体としてバランスがアテンション獲得のほうに大きく傾いてしまっているのが現状であり、これはけっして健全な状態とはいえません。