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機械翻訳の目覚ましい進歩によって、翻訳はかつてないほど身近なものになった。海外のニュースや論文をチェックし、外国語でメールを書く。こうした作業も、機械の助けを借りて、誰もが気軽に行えるようになった。
たぶんこれからは、文学などを読むうえでも、外国語であればとりあえず機械にざざっと翻訳してもらう、といったことが一般化するのではないかと思う。といっても、いずれは機械に「完璧」な翻訳ができるようになるということではない。そもそも完璧な翻訳というものはありえない。言葉の響きはむろん、意味、トーン、文章の緩急、語順(情報が提示される順番)等々、再現すべき要素はいくつもあり、そのすべてを満たすことは不可能である。多くの要素をなるべく変えないよう努めても、何かは必ずずれていく。極端な言い方をすれば、あらゆる翻訳は誤訳である。
たとえば、ヴァン・ダイク・パークスというミュージシャンの"Palm Desert"という曲に、"Dreams are still born in Hollywood"という一節がある。この"still born"は、「いまだに(夢が)生まれている」(still born)とも読めるが、「死産に終わる」(stillborn)とも取れる。2つの意味が同じ音で表されているのだ。これとまったく同じことを日本語でやろうとしても無理である。