イミテーションを見て
イノベーションを知る

 今日のビジネス界には、偉大な神であるイノベーションを、もろ手を挙げて歓迎するだけでなく、企業の存続と成長の必要条件としてあがめたてまつる風潮が強まっている。

 イノベーションにはあらゆるものを呪縛から解き放つ効力があるという信仰は、企業によってはナチェス・インディアンの太陽崇拝に劣らず強いものがある。

 人間は必要に応じて神を創り出す。ビジネスマンの新たなる神とナチェス族の歴史ある尊い神が、同じもの──再生と生命──を約束しているという事実は意味深長である。

 しかし、研究開発のエネルギーをすべてイノベーションの創出に傾けるより、ビジネスの現実に目を向けるほうが実際的ではないだろうか。イノベーションはそれほど信頼できるものなのだろうか。イノベーションは本当にすべてを解き放ってくれるのだろうか。約束を守るという観点から、もう少し控えめな願望を比較検討してみてはどうだろうか。

 現在我々は──全体あるいは部分的に──新製品や新しいアプローチが、恐ろしい勢いで押し寄せてくるのを目の当たりにしている。その一つに、イノベーションよりもはるかに勢いのある流れがある。「イミテーション」(模倣)の潮流である。

 周囲をさっと見渡しただけでも、イノベーションよりも模倣が多いことに気がつく。これこそビジネスの成長と利益創出の方法として広く普及していることは明らかである。

 IBMはコンピュータ業界において、テキサス・インスツルメンツはトランジスタ分野において、それぞれ模倣者だった。

 ホテル業界におけるホリデイ・イン、テレビ製造におけるRCA、S&L(貯蓄貸付組合)におけるリットン、これらもすべて模倣者として市場参入した。プレイボーイは、主要事業部門である出版とエンタテインメントの双方において模倣者だった。

 小規模ではあるが、我々が日頃目にしている玩具や新しいパッケージ食品のプライベート・ブランドは、厳密にいえばほとんどが模倣品である。模倣がはびこる一方、イノベーションはごくわずかなのが現実だ。

 模倣品があふれている理由は容易に理解できる。孤高のイノベーターの一人ひとりが、熱心な模倣者の大群に行動を起こさせるのだ。