インテルとマイクロソフトの明暗

 インテルとマイクロソフトはなぜ明暗を分けたのか。一方は、パソコン用オペレーティング・システム(OS)とビジネス・アプリケーション市場を支配する230億ドル企業のマイクロソフト。もう一方は、パソコン用マイクロプロセッサ市場で同様の影響力を振るう340億ドル企業のインテルである。

 両社が「ウィンテル」の名で称されることからも、この2社がどれほど業界を支配しているかがうかがえる。独占禁止法(以下独禁法)違反の訴訟で標的と見なされることは、火を見るより明らかである。

 しかし、この2社がたどった運命は大きく異なるものとなった。マイクロソフトは略奪的行為を理由に、司法省と10州を超える州の告発を受け、何年にもわたる法廷での闘争に巻き込まれている。

 このような経緯によって、マイクロソフトの社名とビジネスは泥が塗られるかたちとなり、経営陣は混乱し、当惑し、単一企業としての存続自体が疑わしくなってきた。訴訟が最終的にどのように決着するにせよ、マイクロソフトの事業と評判は大きく損われることだろう。

 対照的に、インテルは独禁法違反の訴訟を免れており──いったん訴訟されると長らく世間の注目にさらされてしまう──、その事業は監督当局の干渉をほとんど受けずにきた。

 インテルの成功は幸運によるものではない。入念な計画とひたむきな努力の賜物である。長い歳月を費やして改良されてきた同社の「独禁法対策プログラム」は、メディアや一般の興味をそそるものではないが、インテルの事業戦略に欠かせない要素である。

 一握りの巨大企業がグローバル市場を支配する傾向がますます顕著となる時代、インテルのアプローチは、監督当局の調査対象となりうる企業にとって貴重なモデルとなるだろう。

企業の成長と共に従うべきルールは変わる

 アメリカの反トラスト(独占禁止)政策の法的枠組みができたのは、100年以上前にさかのぼる。1890年にシャーマン反トラスト法において、「複数の州をまたぐ取引および通商を独占すること、または独占を目的として他者と連合もしくは結託すること」が禁止され、競争の基本的な枠組みが規定された。

 これが後年の独禁法──1914年のクレイトン反トラスト法、36年のロビンソン・パットマン法、76年のハート・スコット・ロディノ反トラスト改正法など──の基盤となっている。

 これらの法律は一般に、各業界における支配的な企業の結託、あるいは公正な競争を実質的に阻害するおそれのあるすべての活動を禁止している。具体的には、独占販売契約、入札操作(談合)、略奪的価格設定(競争相手を市場から排除するために不当に低い価格を設定する)、賄賂、抱き合わせ販売、株式の持ち合い、反競争的な企業買収などが挙げられる。