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交渉力の有無が企業力を左右する
1999年の1年間で見た、世界のM&A取引額は実に3兆3000億ドルに達した。これは交渉者たちの努力の賜物だが、その働きのほんの一部にすぎない。
新聞の見出しには挙がらなくとも、マネジャーたちは、顧客やサプライヤー、大株主や資金提供者、合弁事業や提携企業、社内の人間や他国の人たちなど、実にさまざまな相手と日々交渉している。
利害も見解も異なる者同士が絡み合うので、結果は相手によってさまざまに変わってくる。そのような状況ゆえ、交渉の意義は重くなりつつある。テラ・ライコスの副会長であるボブ・デイビスの「交渉はコア・コンピタンスを育むカギ」という言葉もうなずけるところだ。
幸いにして、ほとんどのマネジャーが──教科書で覚えたのか、度重なる逆境のなかで身につけたのかはともかくとして──交渉のイロハをわきまえている。なかには見事な手腕の持ち主もいる。
だが、大きなリスクと激しいプレッシャーにあって、手痛い過ちを犯してしまうのもまた事実である。知らず知らずのうちに悪癖が身につき、それは経験を重ねるごとにすっかり体に染み込んでいく。
実際に、私がこれまでに関与してきた何千という交渉を振り返ってみても、ベテランと呼ばれる人ですら、失敗を幾度となく繰り返しているという事実に驚きを覚える。
たとえば、儲けのチャンスを交渉の席に置き去りにしたり、交渉を行き詰まらせたり、相手との関係にひびを入らせたり、意見の対立をこじらせたりといった具合だ(囲み「交渉研究の歩み」を参照)。
交渉研究の歩み
現実の世界で交渉という場面が増加するのと並行し、研究者たちの数世代にわたる努力のおかげで、交渉プロセスの解明が進められてきた。
1950年代から60年代は、勝つか負けるかのハード交渉を構成する要素を個々に取り上げ、目標を積極的に設定し、最初大きく出て徐々に譲歩する手法、または威嚇やはったりを用いながら行き詰まりや戦線の拡大を回避し、かつ立場を堅持する方法などが研究された。
それから80年代初期にかけては、Getting to Yes(『ハーバード流交渉術』)によって「Win-Winの解決法」が普及したことも手伝って、パイの分け前争いから、根底にある利害の発見と調整によりパイを拡張させる方法へと焦点が移った。
この「Win-Winか、Win-Loseか」という極端に単純化された議論は、まもなくハワード・レイファ著のArt and Science of Negotiationによって、より高度な分析によって決着を見た。パイは拡大と分割の両方が必要だったのだ。
デイビッド・ラックスとジェームズ・セベニウス著のThe Manager as Negotiatorは、価値を生み出すための協調行動と、価値の所有権を主張する競争行動の間の葛藤を生産的に管理する模範的手法を新たに提案した。
90年代は、マックス・バザーマンとマーガレット・ニールの著によるNegotiating Rationallyなどの著作が登場した。
実際の交渉場面における人々の行動を説明しようとする行動科学的研究とゲーム理論との統合が始まり、合理的にはどのような交渉が行われるべきかを分析した。
この新たな統合では、純然たる合理的行動を前提とすることなく、可能な限り適切なアドバイスを開発・提供することが目指された。
ここでは、二者間にあって、一つの争点について1回限り交渉するケースから、複数の争点をめぐって複雑な合従連衡を繰り返しながら継続的に交渉(内部の意見調整と相手との交渉が同時進行する必要がある)するケースまで、さまざまな交渉の場面にまつわる洞察が豊富に提供されている。
以上のような考え方について学ぶ交渉学講座は、ビジネススクールの選択科目として常に人気を博してきた。近頃はその重要性が高く認識されていることを反映して、ハーバード・ビジネススクールなどでは、MBAプログラムの中心になりつつある。
ビジネスマンにとって交渉は、大型取引や紛争解決のための特殊技能という域を脱し、一つの日常業務になりつつある。
交渉を失敗に至らせる原因は、交渉者や取引内容によって千差万別である。ただし、いくつかのグループに大別することは可能だ。これからよい交渉と悪い交渉を対比しながら、その原因にメスを入れてみたい。その前に、交渉の場でなすべき事柄を確認しておこう。
交渉に臨む者はだれであろうと、取引に応じるか、それとも合意は不可能と見て最善の代替案を選ぶか、最終的にはどちらかを選択しなければならない。交渉者たる者、最善の代替案よりも、やはり合意案で相手を同意させ、何とか自分の利益を総取りできるよう、事を運びたいものだ。
では、なぜ相手は同意するのか。相手にも自ら提示した代替案よりも、その提示された取引に応じたほうが利益になるからである。