「非難」の効用を知るには野球がいちばん参考になる

 新製品が失敗に終わった。あるいは、新規採用者が実はとんでもない社員だった。このような場合、だれかの責任を追及したり非難したりしても、それは野暮というものだ。

 そこで、「そもそも販売目標が間違いだった」「手違いがあった」など、まるで失敗が勝手に起こったかのごとく、だれも傷つけないように問題の核心をぼかしがちである。

 実際、多くの企業では、非難はことわざでいわれるゾウのようだ。たしかに部屋の真ん中にいるのに、だれもがまるでいないかのように振る舞う。一方、すぐさま非難の矢が飛んでくるような企業の場合、社員は業績うんぬんよりも、非難や叱責を避けることに汲々としている。

「CYA(cover your ass: 言い訳)主義」が支配する組織では、非難や叱責という行為は不当な汚名に甘んじているのが実情だ。

 しかし、非難は強力かつ建設的な手段にもなりうる。まず、同じミスを繰り返さないための効果的な教育ツールとして活用できる。

 また、必要最小限にとどめれば、部下の自信を損なわせることなく目標達成に集中させ、全力を尽くすように促すことも可能だ。

 正当な非難は、相手にきわめて大きなプラス効果をもたらす。そのカギは、どのように非難するか、にある。人々の意思決定や業務遂行、最終的に組織風土や特質に好影響を及ぼすか否かは、そのやり方次第である。

 野球というスポーツは、ミスや失敗がつきもので、非難を研究するには格好の縮図である。事実、監督はほとんどの時間とエネルギーを、チーム全体のミスや失敗の管理に費やす。

 ごく一般的な試合で、監督やコーチをはじめ、選手たちは、優に100を超える判断ミスを犯すが、それでも試合に勝つことが可能だ。優秀なピッチャーでさえ、バッター1人につき平均2球以上も間違ったコースに投げている。打率4割を達成できたバッターは奇跡的なシーズンを送ったことになるが、それでも残りの6割は失敗しているともいえる。

 したがって、監督やコーチ、球団オーナーは、すべてのミスをいちいち取り沙汰していたのでは身が持たない。たった1試合でノイローゼに陥ってしまうだろう。したがって私は、非難という行為が球団にどのような影響を与えるのか、身をもって体験した。