トクヴィルが現在のアメリカの資本主義を観察したならば…

 アレクシ・ド・トクヴィルがアメリカの地を踏んだのは1831年。弱冠26歳の時だった。アメリカの刑務所制度を調査するために、フランス政府から派遣されたのである。トクヴィルは予定どおりに調査を行い、その成果を基に著書を物している。

 しかし、最も強い関心を寄せたのは民主主義というテーマであり、その研究成果によってトクヴィルの名前は歴史に刻まれることになった。「民主主義はフランスばかりか、ヨーロッパ全体で停滞しているというのに、なぜアメリカ社会にはうまく浸透しているのか」という問題を追求したからである。

 トクヴィルが今日のアメリカ社会を目のあたりにしたならば、彼の予想の多くが現実となっていると知ってさぞかし満足するに違いない(たとえば、当時人口わずか1300万人だったアメリカが、100年後にはロシアと並ぶ世界の超大国になると予見した)。

 その一方でトクヴィルは、民主主義よりもむしろ資本主義に大きな感慨を抱くのではないだろうか。そして、1831年の訪米時と同じように、アメリカから得られるプラス・マイナス両方の教訓をヨーロッパや他国に広めようとすることだろう。

 カール・マルクスは「資本主義は必然的に社会主義の台頭を招く」と述べたが、アメリカの現実はその予想を見事なまでに裏切っている。アメリカ社会党は大統領選挙で6%以上の得票率を記録したことがなく、議会で数議席を獲得するのがせいぜいである。

 アメリカでは20世紀全体を通してリベラルな資本主義を是とする政党が政権を握り続けたが、これは西欧型のデモクラシー国家ではほかに類例を見ない。

 ヨーロッパではビジネスというと軽視されることが多いが、アメリカでこれほどまでに礼賛されるのはなぜか。この20年間でEU(欧州連合)域内では500万人しか雇用が増加していないのに、EUよりも人口の少ないアメリカが3000万人もの雇用を創出している。それはなぜか。アメリカは経済成長への意欲を失うことなく、近年では生産性を劇的に向上させているが、それを支えているのは何か。

 また、自由と平等を同時に手に入れるのが叶わない状況のなかで、アメリカ人が自由のために経済的な平等を犠牲にし、ヨーロッパ人の目には不公平、あるいは理不尽とさえ映る所得格差を容認しているのはなぜか。

 トクヴィルは「私は民主主義の亡霊を追い払いたい」と述べた。アメリカ以外の国々では、現在も多くの人々が資本主義の亡霊の影を感じている。

 しかし、トクヴィルが「民主主義の進展は歴史の必然であり、世界にあまねく広がる」と考えたのと同じように、資本主義も今日、グローバル経済を席巻しつつある。資本主義を適切にコントロールし、一部の成功者だけでなくすべての人々に利益をもたらすためには、資本主義への理解を深めなければならない。